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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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地震以前にもあることではあるが、地震以降不安が充満した日々が続き、ニュースを見ていると不満のエネルギーの向き方が変だと感じて、気分が悪い。
菅総理と東電。
政治問題や社会問題に対して、一人一人が真剣に考えて参加すれば、一人一人の考えが反映されるのかもしれないが、どう行動したら変えられるのか分からないのが、ほとんどの人の正直なところだと思う。傍観者だらけだからこのままなんだと思うと、責任は自分にあるのだけど…。
だけど行動を起こしている人の主張を見ていると、自分の思いを代弁してくれているとは全然思えず、どうしてこういう言い方をするんだろう?と不審に感じることがある。

被害者と加害者、強者と弱者。それぞれの立場や正義感という姿勢を武器に、言いたい放題。
それらしい言葉を丁寧に使って品良くまとめようとしても、心に相手を言葉で言い負かしダメージを与えようという思惑があれば、戦いにしかならない気がする。
それぞれの考えを、より上手に主張しあうだけの討論会であれば、言葉の使い方、表現で勝負をしていればいいが、本当に解決すべき事柄は、色々な角度から問題を冷静に話し合うことでしか答えは出ないというのは、誰にでも分かる事ではないのかなぁ?
誰かを奉り上げ責任を押し付けて責め立てることに、どんな意味があるのか?
菅総理や、東電の会長に辞めてもらったあと、希望の持てる展開になることが重要であって、今現在誰が責任者かということと問題解決とは別のことに思う。
仕事というのは日常的に考えると、一人の力よりも、関わる人の調和が取れる事でうまく進むように思う。もちろんリーダーの才覚というのは大きく影響するが、分野、細部に渡ってそれぞれが責任を持っている。リーダーを決めたのは誰なのか?リーダー不適格者を選んでしまった者には責任はないのか?間違えたリーダーは叩かれて辞めれば責任を取ったことになるのか?

ここで菅総理退陣の話題と東電の株主総会のニュースを一緒くたにするのは乱暴とは思う。
そして菅総理を支持するつもりもないし、東電役員の話している様子を私もなんだか他人事みたいに思った。
今の具体的な問題より、ニュースを見ていて私が感じるのは、うまく行っている時には、100%OKじゃなくても良しという寛大さを持ちながら、うまくいかなくなった時の人間のと言うより、マスコミの取り上げ方の豹変振りが恐ろしい。
それが人間の心理に大きく影響し、不安を煽り、判断を混乱させる元になるんだと思う。
社会問題で考えると、寛大な素振りの人と、豹変する人は、たぶん同じ人間ではないとは思う。日頃から問題を感じて運動を起こしている人に追い風が吹いた状況なのだろうから、世の中がそういう流れになったという話。今まで気にしてなかった人が、問題が起きたことで関心を持って加わる事はいいかもしれない。
だけど、何か違う怒りや不安が形を変えて爆発しているような気がする。良くしていきたいという意味では仲間でも、なんだかこれを機に不安を利用して私欲を満たそうとしてる人、解決策を考えようとせずに、今の状況の不満を撒き散らしたいだけの人。

人には色々事情があって、運動を起こすまでに至る様々な思いがあるだろうし、いま一つ参加できない私は何も言える立場ではないかもしれないけど、客観的な立場で見ているからこそ、圧力みたいなもので物事を進めようとしているものを感じ取って、そこに巻き込まれたくないから、様子を見てるというか…。ズルイような後ろめたさはあるものの、世の中の人大半がそうじゃないだろうか?違うかなぁ。

原子力発電の問題点が改善される研究が、あとちょっとのところまで来ていたら…
充分な設備投資ができるくらい、風力・水力発電へ投資できたら…
私欲を抜きにして本気で日本の事を考える、力と知恵のある人が政治家だったら…


注:内容とは全く関係ない写真です
上海でラテをオーダーすると、カップではなく厚いグラスで出てくる確率が高い。
しかも包帯のように紙ナプキンを巻いて。だけど熱くて持てないよー
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実家で飼っていたマルチーズのナナが一昨日の夜天国に旅立ちました。
15年という年月は犬の寿命からすれば長生きの方だろうけど、いつまでも生きていて欲しいと思ってしまうものだ。
ナナちゃんはとっても元気で丈夫な犬だったのに、春節に帰国した頃、既にヨタヨタしていた。お腹にしこりができていて、年齢から見て手術する方が命を縮めると病院で言わたので、治療はしなかった。
死に際には一緒にいられなかったけれど、調度今私は日本に帰国しているので亡くなる数日前に会うことが出来た。春節に見た時より痩せて、元気がない痛々しい姿を思い出すと、今はもう苦しんでいないんだから、ナナちゃんにとっては長引かなくて良かったのかもしれない。
だけど、実家に行ってももうナナちゃんはいないんだと思うと泣けてくる。
ナナちゃんは幸せだったかなぁ。
痛かったかなぁ。
今どうしてるのかなぁ。
結婚してナナちゃんと離れた時も、ナナちゃんどうしてるかなぁと恋しく感じた。ナナちゃんのあったかさや、汚れた時のにおいとかが、近くにないことがすごく寂しかった。
ナナちゃんのお腹のしこりが大きくなっていて、触ったら痛そうに見えて、あんまり抱っこが出来なかった。お医者さんの話では、そんなに痛くないらしいけど、なんとなく怖くて駄目だった。それが良かったか悪かったかわからないけど、もっともっと抱っこしたかった。悲しい。


ナナちゃん
色々映画は見ているのだけど、これといって感想が持てない時が最近よくある。
作品には何かメッセージや、作者が表現したい何かがあるだろうと思うので、好きとか嫌いは別として、こういう事を伝えたいんだろうなぁという事はキャッチしたいのに、何を伝えたいのか分からなかった…。みたいな。
そういう時、自分が飲み込みの悪い落ちこぼれのような気がして、気分的な消化不良になる。
評判いいみたいだけど私は嫌い!という感想だとしても持てた方がよっぽどいい。
自分の感性が今鈍ってるのかなー。なんか淋しいなーと結論付けて終わりにするしかないのは残念だ。

昨日「わたしを離さないで」という映画を観た。
久しぶりに心にズシンと重いものが残った。今もあの映画の空気に呼び戻される感覚がある。
とても悲しく残酷な話だったけど、悲惨とは違う。
感想が持てない時があるように、感想を言葉に出来ないこともある。そういう時は、その内容について人と語り合わない方がいい気がする。相手の感じ方と違う事はわかっても、どう違うかを伝えられないのに、無理して伝えると、どんどん別なものになるからだ。
この映画を観た人の感想は様々だろうという気がするうえ、口にしにくい倫理的なものも含まれるので尚更。
友人に紹介されるまで、この映画の存在を私は知らなかったのだが、友人の勧め方も今思えば変な感じだった。観て欲しいような、別に勧めてないような。
だけど私は観て良かった。教えてくれてありがとう。
彼等の境遇はフィクションとはいえあってはならない、それでもそういう現実であればその中で自分にとってのベストな選択を見付ける事に気付けたら、いい人生をおくれたといえるだろう。その点では、どの世界に生きても同じことだな~と思った。不運な境遇を同情してしまう気持ちはどうにもならないけど、同情的に接するのは返って失礼だと私は思う。貴方は同情すべき立場にいると、分からせる事にどんな意味があるのだろう?私はあの女の先生が嫌い。

まだしばらくこのストーリーについて考えたいので、小説も読んでみたい。
日本生まれのイギリス人(帰化したそう)カズオ・イシグロという人にも興味がわく。だいぶ前に観た「日の名残」という映画の原作も彼だという。ほとんど忘れてしまったが静かな感動があったのは覚えてる。


6/10で公開終了
上海ではDVDが出てるかな?訳が変かもしれませんが…。
日本ではお店に入ると「いらっしゃいませー」と言われるのが普通ですが、中国では特に何も言わない店もまだまだあるなか、「歓迎光臨~」(いらっしゃいませみたいな意味)とか帰る時は「請慢走」(気をつけてお帰り下さい)と言う店が増えている。
そういうのはだいたい個人店ではなく、チェーン店や大型店。教育が国際的になってきているんだろう。上海から少し離れると人の態度が一気に悪くなるので、あー上海って都会なんだなぁとつくづく感じる。
上海に来たばかりの頃は、中国人の態度の悪さに驚いていたが、今は慣れたまたは麻痺してきた部分もあるだろうけど、良くなってきているように思う。やっぱり人間爽やかに接することの気持ちよさを知れば、浸透していくんだろう。イイことイイこと♪
それはイイことなのだが、時々スターバックスとか、フレンドリーな雰囲気の店でちょっと受け入れにくい言葉を耳にする。それは、「ばいばーい」
・・・・・店を出る時に言われるのだが、立ち止まって言ってる人の顔を見て、知ってる人だったっけ?と確認したくなる。言った方は言いっぱなしで、私の方を見てるわけでもなく「請慢走~」と同じ感覚で口から出てるのだろう。だから私からも「ばいばーい」と言う必要はないと判断して店を出るのだが、なんか変。
恐らく「ばいばーい」というより「Bye bye!」って感じなんだろうけど…。

それとは別にネイルサロンに行った時のこと。
その時たまたま、中国人のお客さんばかりでしかも私以外全員知り合いみたいな雰囲気だった。私が一番最初にいたお客で、一人、また一人とお客が増えていったのだが、入ってくる人入ってくる人「ハロー」と言って入ってくる。
は?ハロー?
言ってる人達は別に照れてない。そして年齢的には40代~50代といった感じ。
別にいいんだけどね。「ハ~イ」とか「バ~イ」の方が受け入れやすいかなー。


その時のネイル
上海はもう夏です!
昔テレビで中国の朝ごはんの様子を紹介していて、お粥に長い大きな油揚げみたいな物をつけて食べたり、ワンタンや麺を露店で食べるというのが普通らしく、それが美味しそうに見えたのを覚えている。
結婚当初、それを初めて蘇州で経験したのだが、テレビではそこらじゅうにそういう屋台の店があるように見えたのに、そんなになかった。
けれど、初めて食べたワンタンはすごーく美味しかった。しかも100円くらいで何品か食べたように思う。中国に住むようになって、また食べられるなーと思っていたけれど、衛生面の問題でそういう店はどんどん廃止されて、私の住んでいる地区ではほとんど見かけない。時々あるけれど、確かに衛生的に受け付けない雰囲気があって、あまり食べたい気持ちにならない。
上海で見かける小吃(ファストフードみたいな感じ)は、蘇州で食べたお粥やワンタンではなく、お好み焼きみたいな物や、生煎包(焼きショウロンポウ)、饅頭、臭豆腐。
私が好きな小吃は「豆腐花」という温かい豆腐に、青葱、ザーサイのみじん切り、アミエビ、岩海苔をトッピングして酢醤油をかけて食べるもの。もー大好き!!!
きっとこれは豆乳とにがりで日本でも再現できると思います。簡単な食べ物だと思うけど、扱ってる店は多くはない。蘇州に行くと泊る「南林飯店」というホテルの朝食ビュッフェにあるのですが、一目散にそのコーナーに向かってしまいます。
もっと色んなお店においてくれるといいんだけどな~。
上海の「ぐるなび」みたいので検索しても、ほとんどヒットしない中に、こんなところに?!という場所にありました。カルフールのフードコート「大食代」の中に!「大食代」には「吉野家」や「CoCo壱番屋」なんかも入っています。
豆腐花を扱ってる店の名前は覚えてませんが、豆腐花以外に生煎包もワンタンもありかなり私好みのメニューです。
そこを見つけてから、カルフールの近くに行くとつい寄りたくなってしまいます。


豆腐花 6元也(75円)。安っ!
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