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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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私は本の虫という程ではないが、読むものが何もない状況はあり得ない。
日本に帰った時に1年くらい読むものに困らない量を見繕うが、チェックしている作家だけでは足りないので、話題になったものや昔読んですっかり記憶をなくしたものなどで補う。
今「ノルウェイの森」を読んでいる。
発売当初売れに売れた小説で、私も読んだものの全然内容を覚えていない。いまいちピンとこなかったという印象を持ったことは覚えている。
そして数年前に映画化されDVDでも見たが、それはほんの数年前にもかかわらず、松山ケンイチとなんとか凛子が出てて、監督は日本人ではなかったことくらいしか覚えていない。
けれど今再度小説で読む「ノルウェイの森」には、ものすごく引き込まれている!
我ながら不思議。
以前つまらなかったものが、時期を変えると面白く感じることは時たまある。
だけど、もしかしたら「ノルウェイの森」に関してはまた時間を置いたら、どんな内容だったか忘れるのかも…とふと思った。
そしてその時、3度目の「ノルウェイの森」では引き込まれたことは覚えてるのかなぁ…と思ったので、久々にブログに残しておこうと思った次第であります。

しかし、取りあえず補充という感じに買ってきた小説達なのに、このところ全て面白い。
と言うか、日本語の読み物が貴重だから、無意識に大事に大事に読んでいるのかもしれない。
まあ、最近では電子書籍なんてツールもあるけれど、どうもねぇ。。。

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あー。終わってしまったー。
「ミレニアム」3部作。読み終わってしまった…。
去年入院した時に友達が差し入れしてくれた小説。3部とも上下巻で覚えにくいスェーデン名の登場人物がどっさりなので、なかなか手が出せないでいたけれど、読み出したらどっぷりハマった。
あー、面白かったー。
面白い長編小説との出会いは本当に素晴らしい。
だけど読み終わった後のこのありあまる興奮はどうしたらよいのだー!といつも思う。
あいにくこの気持ちを分け合える友達もいないので、Amazonのカスタマーレビューを読んで名残惜しもう。
そして「この商品を買った人はこんな商品も買ってます」のコーナーを参考に次の出会いを探すのだ。


ひろちゃん素晴らしい小説をありがとう!
朝男さんに他にもオススメ聞いといて~
時々漫画が読みたくなります。
最近は漫画がもとになったドラマとか多くて、読んでみたい気がしないでもないけど、私は絵が好きになれないと読んでられないタチで、いまいち手に取りたくなる漫画に出合えない。
結局何を読んだらよいのかわからなくて、決まった漫画家さんのしか読まないけど…
私が昔から読み続けている大好きな漫画家はくらもちふさこさん!もー大好き!
中学生の時から別冊マーガレットで読み始めて、別マ自体は高校生で読むのやめちゃったけど、くらもちふさこさんの単子本が出るのをチェックしている。
私が中学生の時既にベテラン漫画家だったのに、今でもティーン(この言葉って使ってていいのかなー)のストーリーが描けてるってすごい。今ウィキペディアで調べたら1955年生まれの56歳だそうです!
まずこの方の絵が好き。そして、もしかしたら読み慣れてない人には判りにくいかもしれない、言葉じゃなく絵で表現している心理描写が、私のツボにはまる。それは判らない人には判らなくて全然構わない気持ちになる。
そして、男の子がすっごくタイプ!少女マンガの王道に当てはまるのかもしれないけど、当たりはソフトなんだけど、つかみどころがなくて、ちょっと近寄りがたいような?長身細身、少々うっとおしめの髪型がいい具合に色気を出してる。

ジャニーズや韓流、イケメンと呼ばれる役者さんに心を奪われている同世代の人がたくさんいて、圧倒されてひく時もあるけど、単純に日常のお楽しみの一つとして夢中になれるのが羨ましい。私も日常で胸キュンタイムが欲しいので、誰かのファンになりたいな~と探すのだが、どうも入り込めない。ドラマとか見てても世代が違いすぎるのか、悲しい事に全然感情移入できない。私は現実的過ぎるのかなー?

そんな私がくらもちふさこさんの漫画には、胸がキュンとなってしまうのだ~♡
切ない気持ちというのは、なんて素敵なスパイスなのだろう!


上海に行っている間に2冊も出てた!嬉しい~。泣けた~!
「花に染む」は「駅から5分」と関連した物語。そういう設定作りの発想にも尊敬を覚えます。
私が好きな作品は
「Kiss+πr²」「アンコールが3回」「東京のカサノバ」「チープスリル」何回読んだかわからない
中国に来てから、日本との違いを色んなところで感じる。
違いを感じる時というのは日本ではこうなのに、中国ではこうで嫌だという拒否反応からだと思う。
だけど、お邪魔しているのはこちらの方、郷には郷に従うために、なるべく理解したいと理由を分析する。それには中国の歴史小説を読むのがいいと思い、選んだのがユン・チアンのノンフィクション小説「ワイルド・スワン」。
私は学生の頃、歴史の時間(歴史だけじゃないけど)何を学んできたんだろう?歴史の教科書からドラマを想像することが出来なかったことが、本当にもったいなく感じる。
だからか!と思うところがたくさんあった。
文化大革命を体験しただろうと思われる世代の人を見ると、恐れ入ってしまう。
日本でも戦争体験の話を受け継ぐことは必要とされているが、文化大革命を語り継ぐのはタブーがいっぱいな気がする。今、感想を書こうとしても、なんだか躊躇してしまう。ユン・チアンは勇気のある人だ。
情報の規制なんて、意識したことなかったけれど、中国に来て情報の規制なんて簡単なことで、知ることが出来なければないも同じ。「嘘はついてない。言わなかっただけ」という逃げ道は、普通の日常にもあることだけど、嘘は悪いと誰もが言えるが、伝えないことは悪いと言い切れないのがうまいところというか、にくいところというか…。
文化大革命の時に国が望む政策を分かったところで、分かった人間が少数ならば、苦しい葛藤を抱えるだけで逆に分かったことを隠した方がいいという状況になってしまう。
国を動かす立場の人間が望むことで、こんなにもコントロールされるとは恐ろしい。
それは日本だって、どこの国だって同じこと。平和な思考を持つようになっている日本人は、果たしてコントロールされていないとは言い切れない。
嫉妬という人間の心理を上手に利用した毛沢東。他の心理戦だってあるはずだ。
「ワイルド・スワン」は、私が中国のことを考えるのに、とっても助けになる本だった。
ショックな話が続いて深い溜息も出たけれど、厳しい状況の中でも知的好奇心を持てる作者に驚いた。豊かな環境でないと知性って磨きにくいものかと思ったけれど、そうではないらしい。「アンネの日記」のアンネ・フランクを思い出した。
文化大革命中は親を裏切る子や、子を裏切る親も多かったようだが、強い精神力やぶれない愛情を持っている人は持っている。自分がその状況で、どんな人間なのか分かりそうだけど、その状況も避けたいし、自分の究極を知るのも怖いと感じる。


梁石日の「闇の子供達」という小説を読んだ。
この話を知ったきっかけは映画の予告。
舞台はタイで幼児売買春、臓器売買の話。フィクションではあるけれど似たような事が現実にあると思うと、読後感は悪いだろうと読むのを躊躇していが、その一方知っておきたいという興味もあった。
何年か前に「もし世界が100人の村だったら」という本が流行り、数字で生活の違いを知り、自分がなんとなくイメージした割合とは全く違い、自分の境遇は思っていた以上に恵まれていると驚いた。
日本にも恐ろしいニュースや経済不況はある。けれど、日本人にとっては生活の質が落ちることにたいする不安が、一番避けたい事なのではないかと思う。生きていければそれだけで満足と思えないのは、不幸と言えば不幸だ。
自分の生活と小説の中の子供達の生活を比較すると、申し訳ないような後ろめたい気持ちになってくる。この後ろめたさは何に対して起こるのか。苦しんでいるのを知っているのに、助けてあげられないから?暑いとか寒いとか美味しくないという程度の不満を言っているから?
小説の中で子供達は、家族と引き離されたり、性のことも知る前から玩具にされたり、暴力を受けたり、食べ物をもらえなかったり、病気になって(エイズとは何かも知らないのに)ゴミとして捨てられたりする。想像は出来ても現実的には考えられない内容。
日々の食事や身の安全が第一の人達が、日本の豊かさ安全性について考えたり羨んだりすることはないだろう。どちら側からしても別世界なのかもしれない。
色々な国から仕事をしにくる人がいる。よく来たねー!頑張って!という気持ちになったことが私は今まではなかった。彼・彼女達はどちらかというと日本人がやりたがらない仕事を引き受けてくれている印象があり、本当はもっと簡単に良い暮らしが出来ると思って来たんじゃない?せっかく日本に来て辛い仕事をして、来た事を後悔してない?なんて思ってたけれど、自国での生活の限界を見極めて外に出た人達なんだとわかった。仕事の内容や暮らしの質とは違う話なんだと。
本当は国自体が安心して暮らせるように変わってくれるのが一番良いけれど、個人の力で人生を変えるには、希望を持てるかどうかが大きいと思った。
小説の子供達には希望がなく、いつまでも悲惨が続くようで絶望的だった。世界には楽しいことがある事さえ知らないだろう。他にも生きる場所があることを知れば希望に繋がると思った。希望があれば方法を考える知恵も生まれ、実行に移す勇気もわくだろう。
私は「知恵」と「勇気」という言葉が大好きで、いつも心に持っていたいと思っている。「希望」については深く考えたことがなかったけれど、すごく大事なことだと気付いた。
日本にいても希望をもてない人はいて、希望を持てない理由も様々とは思う。タイ(だけではないけれど)の希望が持てない理由より個人的で複雑、多種多様だ。そして希望を持つ方法や手段や情報も多種多様。その点でも恵まれている気がする。悪戯に同情心を起こすより、せっかくの恵まれた世界での生活を生かして楽しんだ方が、他の国からの希望になると感じた。

なんだか今の境遇に後ろめたさを感じないよう、こじつけたような事を書いてしまったが、可哀相可哀相という感想を何日も引きずり、暗く重い気分になっていた。真剣に相手の身になって考えると、同情されっぱなしって気持ちよくない。「同情するなら金をくれ!」って感じで、同情してもなんにもならない。結局出来ることは、今の自分の立場に感謝して一生懸命生きるだけ。各自頑張ろう!
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