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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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色々映画は見ているのだけど、これといって感想が持てない時が最近よくある。
作品には何かメッセージや、作者が表現したい何かがあるだろうと思うので、好きとか嫌いは別として、こういう事を伝えたいんだろうなぁという事はキャッチしたいのに、何を伝えたいのか分からなかった…。みたいな。
そういう時、自分が飲み込みの悪い落ちこぼれのような気がして、気分的な消化不良になる。
評判いいみたいだけど私は嫌い!という感想だとしても持てた方がよっぽどいい。
自分の感性が今鈍ってるのかなー。なんか淋しいなーと結論付けて終わりにするしかないのは残念だ。

昨日「わたしを離さないで」という映画を観た。
久しぶりに心にズシンと重いものが残った。今もあの映画の空気に呼び戻される感覚がある。
とても悲しく残酷な話だったけど、悲惨とは違う。
感想が持てない時があるように、感想を言葉に出来ないこともある。そういう時は、その内容について人と語り合わない方がいい気がする。相手の感じ方と違う事はわかっても、どう違うかを伝えられないのに、無理して伝えると、どんどん別なものになるからだ。
この映画を観た人の感想は様々だろうという気がするうえ、口にしにくい倫理的なものも含まれるので尚更。
友人に紹介されるまで、この映画の存在を私は知らなかったのだが、友人の勧め方も今思えば変な感じだった。観て欲しいような、別に勧めてないような。
だけど私は観て良かった。教えてくれてありがとう。
彼等の境遇はフィクションとはいえあってはならない、それでもそういう現実であればその中で自分にとってのベストな選択を見付ける事に気付けたら、いい人生をおくれたといえるだろう。その点では、どの世界に生きても同じことだな~と思った。不運な境遇を同情してしまう気持ちはどうにもならないけど、同情的に接するのは返って失礼だと私は思う。貴方は同情すべき立場にいると、分からせる事にどんな意味があるのだろう?私はあの女の先生が嫌い。

まだしばらくこのストーリーについて考えたいので、小説も読んでみたい。
日本生まれのイギリス人(帰化したそう)カズオ・イシグロという人にも興味がわく。だいぶ前に観た「日の名残」という映画の原作も彼だという。ほとんど忘れてしまったが静かな感動があったのは覚えてる。


6/10で公開終了
上海ではDVDが出てるかな?訳が変かもしれませんが…。
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「食べて、祈って、恋をして」という映画をDVDで見た。
ジュリア・ロバーツ主演で、ローマ、インド、バリを旅する話なんていかにも面白そうだが、滅茶苦茶な日本語字幕で全然楽しめなかった。
こちらで買うDVDは時々そういうものがある。海賊版だから仕方ないけど、翻訳ソフトのまんま!という感じ。
始めはそれでも、きっとこういう事だろうと推理して見ていたが、変な翻訳がかえって邪魔で訳がわからなくなってくる。英語解らないけど、いっそのこと字幕ない方が、もしかしたらわかるかも!なんて期待して、字幕をオフにしてみたが、やっぱり解らなかった。
想像するに、主人公は離婚を機に自分が求めているものは何かを解りたくて、旅に出て色々な人との出会いや、出来事から何かを掴むという話しだと思うのだが、そもそも何が不満で、結局何がわかったのか、残念ながら私には読み取ることが出来なかった…。

「自分探し」という言葉、どうも私は好きではない。
自分の何を探すのか。本当の自分?本当に自分がやりたいこと?だったら今の自分は誰なのか?今している事は誰かが決めたことなのか?と屁理屈を言いたくなってしまう。
仕事上の立場や役割、人間関係、忙しない日常の中で、ふと気付いたらそこに喜びはなく、ただ単に流されているだけかも!と思った経験は私にもある。だけど冷静になれば、自分を見失う程流されたりはしない。
早い時点で「なんか嫌だなぁ」と、気付けないような、本当に見失ってしまった人は探しに行った方がいいけど、「自分探し」という言葉の中には、今の自分は自分をさらけ出す事を抑えているけど、本当はもっと素敵なはず!という意味が含まれていて、自分のしたいように生きる「きっかけ」を探している時に使ってるんじゃないかという気がする。
それでも私はあまり共感はできないけど…。
「自分探し」より「自分作り」の方がいい。
今の自分以上に、人生を楽しみたいとか、素敵になりたいなら、自分が理想とする人物像をデザインして、そこに近づく方が建設的な気がするのだ。 かつての自分とか、まだ自分でも気付いていない自分というのは、それほど求めていないから、今そうしてないってことじゃないかと思う。
なんだか映画の感想とは全然違う内容になっちゃった!ちゃんちゃん♪


ローマでの手の使い方レッスンが面白かった!
この映画、だいたい展開は読めてしまい、実際その通りの内容だったけれど悩ましい話だ。
新任教師が子ブタを連れてきて、動物を食べるということを理解する勉強として、クラスで育てる。
台本があるんだろうけど、子供たちのセリフはセリフじゃないんじゃないか?と思った。
家畜とペット、命あるものを人間の理由で食べること、育てたものに対しての責任など、正しい答えはこれだ!と言えない問題に対して、卒業という区切りをゴールに何度も話し合う。
「食べる派」と「食べない派」での討論で、大人から見ると「食べる派」の意見に悪意のあるものはないけれど、「食べない派」はどうしても感情的な性格の子が多くなってしまい、「残酷だ!」とか「食べられるなんて信じられない!」と「食べる派」を攻撃する。その言葉は「食べる派」にとって、とっても辛いだろうけれど相手を納得させるために「食べる理由」の意見を述べるが、感情に走る人にはなかなか届かない。
印象に残ったのは、「食べない派」の子が「食べる派」の子を睨みつけたり、泣き落とししたりするところ。
あーやだやだ。と思った。
「食べる派」の子が「本当は私だってPちゃんを食べたくない」とこらえていた涙を流すシーンを思い出すと、今もじわわわ~んとくる。
問題は何であれ、性格だよな~。自分があのクラスにいたらどっちになっていただろう?
「食べる派」で堪え切れない涙を流す役をやりたいなぁーと思うけれど、6年生の私だったら「食べる派」を睨んだり蹴ったり「私の見えないところで話して!」とか言っちゃって、思い切り感情に走ってそうだ。
しかし、討論を見守り敢えて意見を言わない教師の立場に立つのが、一番私には無理だと思う。

今住んでいる家の近くにドイツバーがあり、テラス席もたくさんあるので、外で豚の丸焼きを時々やっている。串刺しにしてぐるぐる炙るやつ。それをやっているのが視界に入ると、その道を通り過ぎるまでそっちに顔を向けられない。
中華料理の写真付きのメニューを見ていると、鳥の顔が(調理後の)目に飛び込んでくることがあり、うわっっ!!と思う。
中国では丸ごと料理しましたよ~というのが、相手への最高のもてなしになるので、丸ごとなのだ!という事をアピールするためにも、お皿に頭をのせて出す。全然抵抗ないそうです。頭のことより最高のもてなしが嬉しいという方にスポットが当るという価値観。
どちらも理解は出来ても、価値観は変えられないだろう。

悩みは人それぞれ、大小様々あるもので、それを解決するかどうかは、問題の拗れ具合と性格によると思う。
誰でも解決したいと表面的には望んでいるようで、案外その悩みから離れたくないと思っている場合があるように感じる。
私は合理的な性格なので、問題は解決策が見つかるまで考えるし、ある程度考えても気分が晴れない時は、今は解決する時ではないと割切ったりする。
人の悩みに付き合う時も、解決したいのか、取っておきたいのかをなんとなく察して、私が思い付くアイデアを話したり、ひたすら聞いたり、気分転換にスライドしたりする。
要はその時の本人にしか、展開は作れない。
悩みが過去の出来事の心の問題となると、過去に戻って問題事態を変えれるはずはなく、誰かに謝ってもらえれば気が済むなら、そうなるよう行動する?だけど、きっと本人が拘り続けている限り終らない。
拘らないようにする事が出来ないから厄介で、それが人間なんだろう。
こんな風に思う自分を冷たく感じて嫌だな~と思っていた矢先に、この「ラースと、その彼女」を見た。
人付合いが苦手なラースが、ある日人形を自分の恋人として車椅子に乗せて、本当の人間のように扱いながら行動するようになった。
家族や近所の人達はその様子に戸惑う。すごく笑える映画だ。
この奇異な行動に対して周りの人の対応が、私には人の心の問題に対しての付き合い方なんじゃないかと感じた。
心の問題の核心はどこにあるのか、わからない。だけど問題が心の多くを占めながら生活している人には、その人のペースや方法を尊重する優しさを持ちたいと思った。

  
「THIS IS IT」を見た。
天才と呼ばれる人でも人知れず努力はしているものだろうと思ってはいても、具体的に何をしているかを知らなければ、この人にとっては簡単なことなのだろう。などと思ってしまう。
コンサートを作るにも、たくさんのプロの技術が結集すれば、それはクオリティの高いものができるんだろう。とも思う。アーティストが関るのはどの程度のことなのか?
「THIS IS IT」のスタッフ達は皆マイケルと仕事が出来ることを心から喜び、誇りに感じ、マイケルの期待に応えようとしている。そして口々にMJは全てを把握していると言う。映画を見ていても、マイケルがこんなに細かく作っているのかと驚いた。そしてスタッフに色々と指示する様子は、とても優しい。
一流ミュージシャンと言ったら日本では誰が思い浮かぶか?パッと思い浮かばないが、テレビを見ていて大物扱いをされているミュージシャンはたくさんいる。そのVIP待遇に「芸能界で権力のある人なんだなぁ」なんて思う。本当に大物かどうかはわからない。きっと大物扱いしておいた方が、仕事がやりやすいという思惑もあるんだろう。よく知らないが、この人は何故こんなにエラそうなんだろう?と思うこともある。そして大物扱いを受けない場合怒ったりしている姿を見ることも… それって小物だ。
マイケルは優しいけれど厳しく、紳士的で愛がある人だと感じた。こういう人を一流の人間という気がした。
今、世界中でマイケル・ジャクソン トリビュートダンスが行われている。
どこからともなくBeat Itの曲が流れ出し、普通に街中を歩いていた人が1人、2人と踊り出し、すごい大勢になっていき、曲が終わると何事もなかったようになる。You Tubeにたくさんupされていて見ていると、ワクワクして私も参加したくなる。なんて素敵な現象?というか思いつきなのだろう!一番初めはストックホルムらしい。
この様子を天国にいるマイケルは、どんな顔をして見ているだろう!

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