忍者ブログ
日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
[20]  [21]  [22]  [23]  [24]  [25]  [26]  [27]  [28]  [29]  [30
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ネットの便利さに浸りきってはいるものの、私は年賀状が大好きだ。
書くのも、勿論いただくのも。
「年賀状だけの知り合い」と少しネガティブなニュアンスで言うことがあるが、私はそういう相手だからこそ出し続けたいと思っている。
半年や1年、2~3年に1度会うくらいでも全然違和感がない関係は別として、急に会いましょう!と連絡を取るには少々遠慮のある相手というのは結構多くて、会いたいけど、やめておこう…。と諦めてしまう。幸運にも私には日本を離れるという転機が訪れたため、勇気を出して連絡を取り、数名の方と再開を果たせて本当に嬉しかった。
年賀状の宛名を書きながら、その方と共有した時間を思い出したり、今どうしているかと想像したりするのは楽しい。お互い日頃忘れているのは当然で、1年に1度そんなふうに思い出に浸るのはいいものだ。
去年から私と夫の写真入り年賀状にした。以前は子供の成長記録ハガキや、結婚しました報告ハガキに「よくやる~」なんて意地悪心を持っていた時期もありましたが、いつからか写真付きの方が楽しくなってきたのだ。会ったこともない子供の写真も、年々大きくなる様子を見ると、並べてみたくなるくらい、ほほーなんて思う。
だけど、子供やペットの写真が主で本人が写っていないのが多いのが残念だったので、私は思い切ってやってみた。
本当に久しぶりの人には「わー!あやちゃん老けたー!!」と思われることを覚悟して…。
この先どんどん老けるだろけど、それでも私は続けたいなーと今の段階では思っている。
変化を実感するからこそ、昔を懐かしむのが楽しいと思う。

去年初めて写真入り年賀状にして分かったのが、もう何年も前に結婚したことや引越したことを年賀状で報告しているにもかかわらず、私が国際結婚で夫婦別姓で名前が変わらないからか、今更「結婚おめでとう!」などとメールをもらったりする。いまだに実家に年賀状を送り続けてくる人もいるし。年賀状に書いたメッセージってあんまり読んでないのかね。


昨日の朝起きると、街はは霧に包まれていて怖いくらいだった。
PR
この映画、だいたい展開は読めてしまい、実際その通りの内容だったけれど悩ましい話だ。
新任教師が子ブタを連れてきて、動物を食べるということを理解する勉強として、クラスで育てる。
台本があるんだろうけど、子供たちのセリフはセリフじゃないんじゃないか?と思った。
家畜とペット、命あるものを人間の理由で食べること、育てたものに対しての責任など、正しい答えはこれだ!と言えない問題に対して、卒業という区切りをゴールに何度も話し合う。
「食べる派」と「食べない派」での討論で、大人から見ると「食べる派」の意見に悪意のあるものはないけれど、「食べない派」はどうしても感情的な性格の子が多くなってしまい、「残酷だ!」とか「食べられるなんて信じられない!」と「食べる派」を攻撃する。その言葉は「食べる派」にとって、とっても辛いだろうけれど相手を納得させるために「食べる理由」の意見を述べるが、感情に走る人にはなかなか届かない。
印象に残ったのは、「食べない派」の子が「食べる派」の子を睨みつけたり、泣き落とししたりするところ。
あーやだやだ。と思った。
「食べる派」の子が「本当は私だってPちゃんを食べたくない」とこらえていた涙を流すシーンを思い出すと、今もじわわわ~んとくる。
問題は何であれ、性格だよな~。自分があのクラスにいたらどっちになっていただろう?
「食べる派」で堪え切れない涙を流す役をやりたいなぁーと思うけれど、6年生の私だったら「食べる派」を睨んだり蹴ったり「私の見えないところで話して!」とか言っちゃって、思い切り感情に走ってそうだ。
しかし、討論を見守り敢えて意見を言わない教師の立場に立つのが、一番私には無理だと思う。

今住んでいる家の近くにドイツバーがあり、テラス席もたくさんあるので、外で豚の丸焼きを時々やっている。串刺しにしてぐるぐる炙るやつ。それをやっているのが視界に入ると、その道を通り過ぎるまでそっちに顔を向けられない。
中華料理の写真付きのメニューを見ていると、鳥の顔が(調理後の)目に飛び込んでくることがあり、うわっっ!!と思う。
中国では丸ごと料理しましたよ~というのが、相手への最高のもてなしになるので、丸ごとなのだ!という事をアピールするためにも、お皿に頭をのせて出す。全然抵抗ないそうです。頭のことより最高のもてなしが嬉しいという方にスポットが当るという価値観。
どちらも理解は出来ても、価値観は変えられないだろう。

中国に来てから、日本との違いを色んなところで感じる。
違いを感じる時というのは日本ではこうなのに、中国ではこうで嫌だという拒否反応からだと思う。
だけど、お邪魔しているのはこちらの方、郷には郷に従うために、なるべく理解したいと理由を分析する。それには中国の歴史小説を読むのがいいと思い、選んだのがユン・チアンのノンフィクション小説「ワイルド・スワン」。
私は学生の頃、歴史の時間(歴史だけじゃないけど)何を学んできたんだろう?歴史の教科書からドラマを想像することが出来なかったことが、本当にもったいなく感じる。
だからか!と思うところがたくさんあった。
文化大革命を体験しただろうと思われる世代の人を見ると、恐れ入ってしまう。
日本でも戦争体験の話を受け継ぐことは必要とされているが、文化大革命を語り継ぐのはタブーがいっぱいな気がする。今、感想を書こうとしても、なんだか躊躇してしまう。ユン・チアンは勇気のある人だ。
情報の規制なんて、意識したことなかったけれど、中国に来て情報の規制なんて簡単なことで、知ることが出来なければないも同じ。「嘘はついてない。言わなかっただけ」という逃げ道は、普通の日常にもあることだけど、嘘は悪いと誰もが言えるが、伝えないことは悪いと言い切れないのがうまいところというか、にくいところというか…。
文化大革命の時に国が望む政策を分かったところで、分かった人間が少数ならば、苦しい葛藤を抱えるだけで逆に分かったことを隠した方がいいという状況になってしまう。
国を動かす立場の人間が望むことで、こんなにもコントロールされるとは恐ろしい。
それは日本だって、どこの国だって同じこと。平和な思考を持つようになっている日本人は、果たしてコントロールされていないとは言い切れない。
嫉妬という人間の心理を上手に利用した毛沢東。他の心理戦だってあるはずだ。
「ワイルド・スワン」は、私が中国のことを考えるのに、とっても助けになる本だった。
ショックな話が続いて深い溜息も出たけれど、厳しい状況の中でも知的好奇心を持てる作者に驚いた。豊かな環境でないと知性って磨きにくいものかと思ったけれど、そうではないらしい。「アンネの日記」のアンネ・フランクを思い出した。
文化大革命中は親を裏切る子や、子を裏切る親も多かったようだが、強い精神力やぶれない愛情を持っている人は持っている。自分がその状況で、どんな人間なのか分かりそうだけど、その状況も避けたいし、自分の究極を知るのも怖いと感じる。


自家製のレーズン酵母のパンが焼けた!
見よ、この画像を!



これって失敗?
上の面がボコボコだけど?
パウンドケーキに似てるなぁ。
食べてみた感想は、ずっしり。まわりはサクサクというか、ポリポリな触感で嫌いではないし、味も美味しいんだけどなんとも微妙。
夫は「お餅みたいで美味し~い!」と無邪気な感想をくれました。
手作りって愛着わくし、失敗と言い切るのが残念だけれど、これは失敗か?成功か?と疑問を感じているだけに、成功ではないんだろう。
まー1回目の天然酵母パンですし!もともとハードル高いと思っていたんだから、食べられるだけよし!ってことにしよう。
ホームベーカリーでも2次発酵後した後取り出して、成型してから羽取って箱に戻せばいいのかなぁ?
やっぱりオーブンじゃないとダメかねぇ。ブツブツブツブツ… 
味はいいんだけどねぇ。ブツブツブツブツ…
今日で来海3ヶ月目!
本当に嫌になったら日本に帰るね~と言いながら、お陰さまで本気で嫌にはならず3か月目を迎えることができました。まぁ、ここまで来ればきっと大丈夫なので、夫も安心したことでしょう。
お祝いにリッチな気持ちになろうと、上海に来て初ホテルでアフタヌーンティーをしに行きました。

その前に、ずっと食べたかった小笼煎包(焼きショウロンポウ)を朝食と昼食を兼ねて食べに行きました。
最近は日本でも小笼煎包屋さんがチラホラ出来ていて、自由が丘にもあったので時々食べてましたが、初めて食べた時は「なんて美味しいんだー!!」と感激しました。


昨日行ったお店

 
4つで5元(62円くらい!ひぇ~)3セット頼んだので6個ずつ。(はー200円しない…。)
(自由が丘では1つ100円…。ううう)

 
しかしこれはなかなか食べるのが難しい!
普通のショウロンポウと同じく、中の肉汁を溢さないように食べたいのだが、とにかく熱い。一口でパクッといけば肉汁を無駄にせずに済むけど、熱くて到底無理。上の方をちょこっとだけかじって穴を作り、チューっと吸い込めると成功するけれど、箸が四角くなので持ちにくく安定した面を上にできない!いじくりまわしているうちに、狙った場所ではないところが破れて肉汁が溢れ出てしまい、ああああーーー!!!というジレンマ。
上の画像は上手に食べている夫のもの。夫は熱がりながらもスマートに食べ進めていた。
私はもともと箸の使い方が変なので(注:夫は中国人ですが、私は日本人です)頭を横にしてすくうように食べてみたり、相当無様ですが、周りが中国人だと思うと必死な姿をさらけ出すことに、抵抗がなくなるのは何故だろう???

 
食べ終わったお皿。
汁の量で、どちらが私のお皿か一目瞭然。
西洋人には無理と思われます。フォークを使うことを想像すると面白い。

アフタヌーンティーにそなえて、お腹を軽くしておくつもりが結構お腹いっぱいになしまい、時間まで歩きまわって腹ごなし。大きな本屋さんに入りましたが、パラパラ見てみてもやっぱり私には読めないので、旅行のガイドブックのコーナーで日本をどんなふうに紹介しているかを、写真だけ見て楽しむ。嘘でしょってくらい写真が古くて面白かった。

 
この日選んだのは、老舗の「和平飯店」
ロビー等高級な雰囲気でいい気分でした。ホテルマンは一見ちゃんとしてる感じでしたが、え?今舌打ちした?とか、お客さんがいても堂々と道をふさいだまま従業員同士話してたりして、面白いやら悲しいやら複雑な気分になりました。
日本のホテルのアフタヌーンティーの時間帯なら、平日は奥様グループ、休日ならカップルや女の子でいっぱいですが、ここは静かで落ち着いた感じでした。  

 
薄暗くムーディーなので、画像も暗いです。
ここではとっても親切で気持ちの良いサービスでした。
紅茶は美味しかった。お菓子の味はまぁまぁ許せるというレベル。東京ではありませんからね。
量が多くて食べきれなかったので、夫が打包(take out)すると言うので「えー!高級ホテルで~?」と思いましたが、中国はだいたい打包できるので、まぁ夫が言ってくれるんだから、いっか~?と思って成り行きを見ていると、全然普通のことのように箱に詰めてくれました。
優雅な気分のままで家に帰りたいと思いつつ、ホテルを出れば現実の世界へ。
万博が終わったせいで、中断していた工事が始まり、良くない排気を出すトラックが動き出し、上海は埃っぽくなったよう。

Copyright © 珈琲を飲みながら in上海 All Rights Reserved.
Powered by NinjaBlog
Graphics by 写真素材Kun * Material by Gingham * Template by Kaie
忍者ブログ [PR]