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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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ひょんな機会に自分が気付いてない自分を知ることがあるものだ。
産前と同じ頻度とまではいかないが、今も定期的にヨガに通っている。
ヨガというのは不思議なもので、ある人には難しいポーズがある人は楽にでき、その逆もある。体の柔軟性の違いは大きいように思うが、上手だな~と思う人が、体のうんと硬い私に出来ることに苦戦しているのを見ると、嘘でしょ?って気になる。
ここ数回、しゃがんで前かがみになって、足を浮かせて手で体を支えるポーズにチャレンジしている。
先生が言うには、思っているより腕に力は必要なくて、重たいお尻を前の方に移動させると、バランスが取れる位置があるそう。なるほどーと思い、他にもコツとなる細かいアドバイスに従いながら試してみるものの、気持ち的には前かがみになるのに、足を床から離すことができない。
他の人は短い時間だけ出来たり、足を浮かせて転がったりしてる。
私は前回も、前々回も、私には無理なポーズと思ってちょっと試して、やっぱりダメと諦めていた。
「今日もまたこのポーズやるのかー」と思いながらふと、私は苦手なことや、興味のないことに関して、あっさり手を引く方で、あんまり「くやしい」という気持ちが起きないんだよね~と、思った。別にそれでいいんじゃん?と思うのだが、「苦手なことから逃げている」とも言える。
挑戦してみてクリア出来たら、違う風景が見えるのは確かだ。
私は床から足を浮かせることが、そんなに怖いんだろうか。浮かせてポーズが取れないところで、前か横に倒れるだけなのに…。と思っても、足を離すことが出来ない。私は自分が思ってるより臆病で頑固なようだ!
なんかやだな。と思った。ヨガと人生を重ねた。
私に「くやしい」という気持ちがムクっと芽生え、もう一度先生の言葉の通りにやってみると、ほんの数秒バランスが取れた!
あれ?思ってたよりどこもキツくない。先生の言う通りだった。
そうだ。そうなのだ。だいたいそういうものなのだ。言われたことを力を抜いて素直にやってみると出来たりする。
そして、やる前に聞いてた話を「こういうことかー」と納得する。
頭で分かるのと、体験して分かるのでは違うのに、頭で想像してだいたい分かった気になってしまうことがあるが、違った時は「なんかゴメン」って恥ずかしい気になる。
何がなんでもやってやる!という熱い思いはやっぱり苦手ではあるが、挑戦に勝った後は清々しい。ふっふっふ。


マンションの敷地内にある桜のトンネルの小道。
ここを通る時ウキウキする。
日本の桜が見られるのはいつだろー?
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昨日道端でこんな可愛いものを売ってた。
おばさんが編みながら売っていた。
1個10元(今日のレートで150円!)。安過ぎ。
こういうのって携帯は1個でもいくつも欲しくなっちゃう。
欲張ってピンクとブルーと緑を大人買い(?)。
そしてアイボリーとグレーのが欲しいから作って!とオーダーまでしてしまった。
そんなに買ってどうする?とも思うけど、誰か欲しいかもしれないしねっ!

家に帰ってアイさんに見せて「他の色でオーダーもしちゃった!」と話したら、編み方をじっくり見て「作れるかも」と言うので毛糸を渡した。
今日娘の昼寝中にさっそく研究しながら編んでます。
すごいよねー。


中国人と日本人の好む色は全然違う
娘は1歳4ヶ月を過ぎ、歩くようになった。
初めて外で手を繋いで歩いた時は、密かに感動した。
私もお母さんになって1年4ヶ月が過ぎたことになる。
娘を産んで育てている人に変わりはないけど、誰かに「こはるちゃんのママ」とか言われると、自分のこととは思えず照れ臭い気分。
それに「ママ」というのはあだ名のようなもので、母親とはちょっと違う。
母親には妊娠が分かった時からなんとなく徐々になっていった気がする。
私は娘に話しかける時、自分のことを「おかあさん」と言っている。
おかあさん=ママ=妈妈=あやちゃん が、同じ人だと娘は既に分かってるような、まるきり分かってないような…。
最近娘の口から「ママ」という言葉が出るようになった!
前は「みんみんみんみん」と言う時期があり、次は「パパ、パパ」もっと前は「あ!い!あ!い!」としきりに言っていて、これらの全部が娘に深く関わる私と夫とアイさんの名詞になってるところが、なんとも思わせぶりだが、これらは使い分けはされず、その時々で全員に、そして全部の感情に多用されるので、その言葉に意味は含まれていないと思われる。
だけど「あ!い!」や「みんみんみん」や「パパ」の時代はやっぱり羨ましく、なんで「ママ」って言わないのよー!と思っていた。
それが最近の「ママ」には気のせいかもしれないが、私に向けられたママと、そうでないママと違いがあるように思えるのは気のせいか、願望か?
まあ、そのうち「ママ」と本当の意味で呼ばれる日が来るのは時間の問題。
「おかあさん」はいつかなぁ?


血液型が判明!AB型。
私がAで、夫がBなので間とったって感じ。
春節休みが終わり、うちのアイさんも故郷からたくさんお土産を持って戻ってきた。
お土産の中に、私が恐れていたものが…。
先日アイさんから聞いた話で、うちのアイさんのお姉さんが私の友人の家で同じく阿姨の仕事をしているのだが、生きてる子豚を友人宅にプレゼントしたそう。2歳の男の子は怖がらずに遊んだらしい。その後阿姨が捌いてオーブントースター(私の語学力では間違ってるかもしれないが、パンを焼くオーブンと言っていた!)で焼いて食べたんだって!とのこと。 私はひぇ~!ムリムリ!と言った。
一緒に市場に買物に行く時も、私は鶏や豚が吊るされてたり、鶏の足の山のあるゾーンに顔を向けないようにしているのを阿姨は知ってるので、「だろうね~。」って反応だった。 「豚は当然無理だけど、鶏だって私は無理だよ」と伝えたところ、「春節で田舎に帰ったら、鶏を持ってくるから、それは受け取って欲しい」と言う。「いらない!いらない!」と言ったら、どうしても受け取って欲しいと必死に言われ、断る方が申し訳ない気がしてきて、「頭は持って来ないでね。」と言っておいた。
それなのに、それなのに、生きてる鶏持って来たー!!!
わーん!目見ちゃったじゃないかー!
私はキッチンに鶏がいると思うだけでそっちに行かれなくなってしまった。
「私がいない時に捌いてね。」と言ったら「午後パオパオ(宝宝=赤ちゃん)が昼寝したらやる(殺る?)」と言っていたので、午後か…。と思っていた。
午前中、私は娘を連れて買物に出掛けた。その間阿姨は掃除をしてるだろうと私は思っていた。家に戻り、あんまり怖がってるのもどうかと思い、勇気を出して買った物をキッチンに持って行ったら、捌いたあと、調理前の鶏がヨガで言うところのベイビーポーズでドーン!わーん!午後って言ったじゃーん!
勘弁して。。。
阿姨のプレゼントしたい気持ちは嬉しいよ。
喜ぶよりギャーギャー怖がってゴメンね、アーイー。

写真は内容と全く関係ありません。 春節に泊まった浦東のシャングリラホテルからの眺め。 うまく撮れた。
今は春節休みで、皆さん故郷に帰っている。
日本人も日本に帰っている人が多い。
ショッピングモールなどは開いてるけど、小さい店はほとんど閉まっていて、広い遊歩道も人通り少なくガラーンとして淋しい。
上海は出稼ぎ労働者で成り立ってる街なんだなぁとしみじみ思う。
いつも食材を買っている店も9日間も休んでしまうので、休みの前の日にたくさん買い込み、子供の頃のお正月を思い出した。

しかし昨日は大変だった。
昨日、今日は商売の神様を爆竹を鳴らして盛大に迎える日だそうで、そこらじゅうで爆竹と花火が上がる。
うちのマンションの敷地内でも花火が上がり、それはそれで楽しめたのだが、布団に入ってからも四方八方から爆竹と花火の音が続き、日付けが変わる頃がピークだった。
一昨年初めてこれを体験した時は、花火の音がする方へ、あっちの窓、こっちのベランダと移動して見ていたが、今となっては春節以外でも何かめでたい事があるとやってるので、勘弁してよー。もう眠らせてよー。って感じだ。
(ちなみに1才の娘は全然起きなかった…。)
そして今朝も爆竹の音で目が覚めた。
朝っぱらからまったくもう…。


今日のネットニュースによると、爆竹と花火で本日軽度な空気汚染発生とのこと。
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