category:こころ
このところ、よく親子ってなんだろう?と考える。
理想の結婚生活を思い浮かべ、理想に近付ける努力をする人は多いかもしれないが、両親との関係って、物心ついた時にはある意味出来上がっていたような物だから、現実があるだけだ。
それなのに、親ってこういうものだ!というのが私の頭の中にある。
大概それは理想であって実際の親とは違う事に、つい最近気が付いた。
私の親だったら、こういう時こう言ってほしいとか、ああやってほしいとか…。なんで分かってくれないの?と勝手に悲しくなったり。
よくよく考えると、自分の身近にいる親こそが親そのものなのに、不思議な話かもしれない。
「こうして欲しい」という期待はどこから生まれてきたのだろう?
他人だと伝えなければ解らないって思えるから、誤解を招かないよう努力したり、喜んで欲しいと思ってした事が、それほど喜んでもらえなくても、相手を観察して方法を変えるなり工夫することは、気持ちの良い人間関係を築く知恵と思える。
他人に対しての期待度は、関係の深さでだんだん図々しくなりがちではあるが、親に対して程ではないと思う。
人生の中で、危機と位置付けされることって、どの程度の事だろう?
自分にとっては一大事でも、他人にとっては他人事なので、他人を巻き込んで大騒ぎするのは、私としては避けたい。
だけど家族には同じ温度で向き合って欲しいという気持ちがある。
私の実家は割とクールで、あまり大騒ぎしないし人生の危機というものが、今までにあったかなぁ?という感じ。
私的には今現在が危機なのだが、24時間助けが必要な訳ではないし、だいぶ危機的期間も長いので本当の危機とは違って、気分的危機。そこに他人にいつまでも付き合ってもらうのは気が引けるけど、家族くらいは分かって欲しいと思ってしまうが、入院を報告した時に「◯日まで忙しいから、お見舞い行けないけど、大丈夫?」という感じなので、自分でなんとかするほかなかった。正直、心配じゃないのかなぁ?寂しいなぁ。と思ったけど、事情があるなら仕方ないし、死ぬ程どうにもならない訳ではないから寂しさは収めるしかない。
だけど、長い入院生活の中でその類の期待が高まって理解は出来ても平気ではいられなかった。
今もそうだけど、最初の方に書いたように、私の理想と現実は違うのであって「期待」というのが厄介な感情なのだ。
親が子を思う気持ちは深いのかもしれないが、それをどう表現するかは個人によるし、受け取る側にもよるので、あまり美しくとらえ過ぎても妙かもしれない。
冷静に考えれば、うちの親が血相を変えて飛んできたら、この人達誰?って感じで不審な気がするだろうことに今気付いた。
あまりにもプライベートな内容なので、ブログにUPするのを迷ったけれど、この先親はどんどん年を取り、体力もなくなるだろうし、頭も硬くなるだろう。
考えてみれば、まだ親に何かを期待してしまうのは気の毒かもしれない。
他人なら素直に感謝することなのに、親ならやってくれて、分かってくれて当たり前と思ってしまう私が子供じみていると、深く心に刻みたいと思って残すことにした。
そして、これから親になる私がちゃんと親になるために。
友達にもらったオーガニックの豆乳
すごーく美味しい!
パッケージも可愛い♪
理想の結婚生活を思い浮かべ、理想に近付ける努力をする人は多いかもしれないが、両親との関係って、物心ついた時にはある意味出来上がっていたような物だから、現実があるだけだ。
それなのに、親ってこういうものだ!というのが私の頭の中にある。
大概それは理想であって実際の親とは違う事に、つい最近気が付いた。
私の親だったら、こういう時こう言ってほしいとか、ああやってほしいとか…。なんで分かってくれないの?と勝手に悲しくなったり。
よくよく考えると、自分の身近にいる親こそが親そのものなのに、不思議な話かもしれない。
「こうして欲しい」という期待はどこから生まれてきたのだろう?
他人だと伝えなければ解らないって思えるから、誤解を招かないよう努力したり、喜んで欲しいと思ってした事が、それほど喜んでもらえなくても、相手を観察して方法を変えるなり工夫することは、気持ちの良い人間関係を築く知恵と思える。
他人に対しての期待度は、関係の深さでだんだん図々しくなりがちではあるが、親に対して程ではないと思う。
人生の中で、危機と位置付けされることって、どの程度の事だろう?
自分にとっては一大事でも、他人にとっては他人事なので、他人を巻き込んで大騒ぎするのは、私としては避けたい。
だけど家族には同じ温度で向き合って欲しいという気持ちがある。
私の実家は割とクールで、あまり大騒ぎしないし人生の危機というものが、今までにあったかなぁ?という感じ。
私的には今現在が危機なのだが、24時間助けが必要な訳ではないし、だいぶ危機的期間も長いので本当の危機とは違って、気分的危機。そこに他人にいつまでも付き合ってもらうのは気が引けるけど、家族くらいは分かって欲しいと思ってしまうが、入院を報告した時に「◯日まで忙しいから、お見舞い行けないけど、大丈夫?」という感じなので、自分でなんとかするほかなかった。正直、心配じゃないのかなぁ?寂しいなぁ。と思ったけど、事情があるなら仕方ないし、死ぬ程どうにもならない訳ではないから寂しさは収めるしかない。
だけど、長い入院生活の中でその類の期待が高まって理解は出来ても平気ではいられなかった。
今もそうだけど、最初の方に書いたように、私の理想と現実は違うのであって「期待」というのが厄介な感情なのだ。
親が子を思う気持ちは深いのかもしれないが、それをどう表現するかは個人によるし、受け取る側にもよるので、あまり美しくとらえ過ぎても妙かもしれない。
冷静に考えれば、うちの親が血相を変えて飛んできたら、この人達誰?って感じで不審な気がするだろうことに今気付いた。
あまりにもプライベートな内容なので、ブログにUPするのを迷ったけれど、この先親はどんどん年を取り、体力もなくなるだろうし、頭も硬くなるだろう。
考えてみれば、まだ親に何かを期待してしまうのは気の毒かもしれない。
他人なら素直に感謝することなのに、親ならやってくれて、分かってくれて当たり前と思ってしまう私が子供じみていると、深く心に刻みたいと思って残すことにした。
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