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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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離れてみて改めて気付くというのは案外多いものだ。
実家を出て親の有難みだったり、辞めた職場の良いところ等…。
上海にいた頃、日本という国や日本人の気質、日本製品、日本の食べものの美味しさなど、日本の良さを心底実感した。
私はいつも日本と比べていた気がする。中国にも良いところはたくさんあるけれど、やっぱり日本が良い。一日も早く駐在期間を終えて日本に帰りたいと思っていた。
だからと言って、上海での生活が嫌だった訳ではなく、そこで体験できる様々な事や感じられるることは、誰も経験できることではないので貴重だと面白がる気持ちもたっぷりあったので、妊娠して日本に戻ることにして、ホッとした反面、中国で産んでも良かったかな~なんて思うこともある。
上海で東京の家や近所の街並みを思い出していたように、今は東京で上海の家や街並みをよく思い出している。旅行に行った時の事を思い出すのと似ているようで、少し違う。もっとその場所に愛着が湧いている感じがする。
時々上海で知り合った人達との普通の日常が、すごく恋しような気持ちになる。
辞めた職場のこととかも、同じ感じに思い出すことがある。会社ではなく、違う場所で再会することは出来ても、あの日常をもう一度体験する事は出来ない。
早く日本に帰りたいと思っていたのに、離れた事で出産後の上海での生活を満更悪くないと思えるようになったのは、大きな収穫。
私は引越しの経験が少ないので、土地に慣れるのに時間が掛かるのかもしれない。こうして愛着の持てる場所が増えていくのは有難い事だ。
自慢にならないが、住処数は少ないが、転職数は多いから初対面の人と話すのは苦じゃないし、度胸があるのかもしれないと今気付いた。


こんなラブリーなピアスを買ってしまった♪
子供っぽいかな~。色がシックだからいいよねっ
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何かを手に入れる時、何かを手放さなければならない場合がある。
何も手放さなくても大丈夫なくらい容れ物に余裕があれば問題ないが、生憎私のキャパは狭い。
私は色々な意味で自分の許容量を理解しているつもりだ。
家事と仕事のバランスや、スケジュールの詰め具合、人付き合いの量など…
自慢出来ることではないが、キャパが狭いのでオーバーすると余裕がなくなって、性格が悪くなり人に迷惑もかけるし、自分自身イライラしてつらいから嫌でもわかったということ。
昔は自分の力以上にやれると思ったり、他の人に出来てるんだから自分にも出来るはずと思っていた時期もあるが、なんとかこなせたとしても、それが自分のペースとは限らない。
 
慣れ親しんだペースを変えるのはなかなか苦しいことで、そのなかの一つに人との関わりがある。
学生から社会人になる時から始まり、恋人との別れや、結婚や出産、転職などライフスタイルの変化にともない、人との関わり方に変化が生じる場合がある。
ライフスタイルの変化と友人との関係に関連性がない場合、本意ではないからつらい。関係を続ける事に無理を感じて、自然に疎遠になってしまうケースが少なくないなか、ずっと続いている関係もあるのは本当に有難い。今まで色々あった中で、今の時点で続いている人とはきっと一生続くと私は信じている。

 だけど、子育てというのは長い難関という気がする。
自分の時間もなくなるだろうし、そのなかで今までと同じようには友達と付き合っていくのは厳しいだろうな…。友達との時間だけでなく、夫婦のデートも、趣味の時間も、姉の子供が大きくなってきたから、ようやく昔のように姉とも遊べると思っていたのに。
あー、こんなことを思っている事が、お腹の子に伝わってしまってば困るけど。
ここ数年、自分の心地好いペースがわかって、平和に暮らしていたので、名残惜しいなぁ。
 
いつもギリギリまで頑張っている人もいれば、自分のペースを頑なに守る人もいる。
私は日頃マイペースでいたいと思っているのは、ここぞという時には力を出したいからという考えは持っている。
 それは、「私のために無理してくれてもいいのに…」という物足りなさを強く感じていた時期があったから。大事な人に喜んでもらうために、無理したり、自分のペースを少しくらい変えるのは何でもないことだと思うのだが、ペースを変えないのは、相手をそれほど大事に思ってないからだと私は判断してしまう。
自分を犠牲にして頑張ってくれてると感じる時、申し訳ないと思う反面、愛されてると実感する。
私は自分の子供に愛情不足を感じさせることはないだろうと思ってる。きっと無理できる。
だからこそ、今この時間が過ぎていくのが名残惜しいなぁ。


夫帰国中、水遣りをお願いしたら咲いた!
タイミングのいいヤツ!
昨日は私の誕生日でした。
誕生日は特別な日である事は確かだが、まだ忘れちゃうほどではないにしろ、年々重要ではなくなっている感覚はある。
家族と一緒にいれば、ご馳走を食べに出かけたりしてお祝い気分を味わうが、去年も今年も夫とは離れ離れだし、一人で何かセレモニー的なことをするガラでもないし、あえてこの日に自分から誰かを誘うのも…という感じで普通に過ごそうと思っていたら、親友の一人がご馳走やプレゼントを持って遊びに来てくれた!
昨日は、編物にはまっている私に「私もやってみたい!教えて!」と彼女が言い出したので一緒に編物をした。
一緒に過ごしていると、誕生日というメインイベントはいつのまにか忘れ去り、普通にお喋りしてるだけだが、この普通の時間がすごーくいい。
人にもよるだろうけれど、結婚すると女友達との遊び方が変化する。独身の頃は旅行に行ったり、朝まで飲んだり、家でまったりしたり、毎週会ったりしていて、時間的な都合が付けば結婚後だって同じようにしようと思えば出来るけれど、なんとなく旦那さんへの気遣いが発生して、同じようにはいかない。それは状況が変わっても友情を続けていきたいという工夫なので、ネガティブには思わないけど、少々昔が懐かしく感じる時はある。
それが今またその時間を味わえてるのでラッキーだ!
思えば去年も夫が先に一人で上海に転勤していたので、別の親友に誕生日を祝ってもらってた!なんて私って幸せ者なんだろう!
去年は美味しいものご馳走してもらって、砂風呂に行って、汗が引かないから、すごーいローカルな甘味屋さんに入ってカキ氷を食べた。その店のエアコンがきつくて今度は冷え切ったがお喋りは止まらず、外に出た時は温かく感じた程だった。
平凡な日かもしれないけれど、きっと何年経っても私は昨日の誕生日も、去年の誕生日も忘れないで、時々思い出してあったかい気持ちになるんだろうな~と思う。
ありがとう。

夜は夫がそれぞれケーキを用意して、Skypeしながら一緒に食べよう!と可愛い提案をしてくれて、一応ケーキを用意したものの、お腹がいっぱいで私は食べられなかったけど、夫は嬉しそうにショートケーキを食べていた。その顔も良い思い出になるだろうな。


彼女いわく私のイメージで左の花を選んだそう。
ひまわりはお店の人がたまたま組み合わせたらしいが
偶然にも私から見る彼女のイメージはひまわり!
ようやくこの日が来たという感じ。
この日が来るまで、ごく一部の人にしか伝えていなかったのだけど、私はまた新しい扉を開いて中に入ってしまいました!
私を良く知る人は耳を疑う報告だと思いますが、ワタクシ母になりましたー!!!
おそらく年内には誕生していることでしょう。
我ながら信じられません。正直言うと、なかなかこの事実を受け入れられなかったのです。
子供とは本当に天からの授かり物で、こちらが望もうが望むまいが、どういうわけか授かったり授からなかったりする。この年齢になれば、私の周りにも子を授かることについての、色々とそれぞれの人のデリケートな問題が存在する。それぞれが望むように人生が運べば良いのだけれど、うまくいかない場合もあり、話題にするのも難しかったりする。
私達夫婦はこのことを自然の流れにまかせていた。
子供を持つことを薦める人がよくいるけれど、人に薦めるほど子を持って良かったと思えていて親も子も幸せだね!という感想は持っても、実際妊娠もしてなければ、子がいる生活もしていないので、ピンと来ない。子がいなくても、もともと母性が強い人はすごーく望むのかもしれないけれど、私はいなければいない人生をその時その時したいようにするだけで、アメリカに行ったことがないことと、出産したことないことを同系列にとらえていた。
だけど、出産に適した年齢のリミットが近づくと、私が気にしてなくても、周りがなんとなく急かすような雰囲気があり、その事に対して自分なりの結論を出さないといけないような感じもあった。
そして、そろそろその問題からも解放されて「私達はナシなんだな。ま、いいよね。」という道に進んでいるような時に、妊娠した。
人生何が起こるか分からない。
上海で産むか日本で産むか、環境、年齢、身体、メンタル、言葉、色々考えたが100%これで良い!という答えではないけれど、日本で産むことを選択した。それから調べてみたら、35歳以上は高齢出産と言われるが、40過ぎるとハイリスク妊婦というくくりが追加され、地域にもよるが受け入れ病院も少なく、妊娠初期に分娩予約をしないとまずいことになるらしいという情報が入り、実は5月末に帰国してました…。
安定期に入り、羊水検査も無事に済んだら家族以外の人に報告しようと今日までひっそりと過ごしていたのです。何がなんでも隠す!というほどでもないので、ちょこっとずつもれていきましたが、水臭いと感じられた方もいるでしょう、ご免ね。
今日無事、羊水検査の結果が出て安心して出産に向かうことが出来ます。
数日前からムニュムニュとお腹の物体が動き出しました!面白くなってきましたよ♪


こんな日が来るとはねぇ…

地震以前にもあることではあるが、地震以降不安が充満した日々が続き、ニュースを見ていると不満のエネルギーの向き方が変だと感じて、気分が悪い。
菅総理と東電。
政治問題や社会問題に対して、一人一人が真剣に考えて参加すれば、一人一人の考えが反映されるのかもしれないが、どう行動したら変えられるのか分からないのが、ほとんどの人の正直なところだと思う。傍観者だらけだからこのままなんだと思うと、責任は自分にあるのだけど…。
だけど行動を起こしている人の主張を見ていると、自分の思いを代弁してくれているとは全然思えず、どうしてこういう言い方をするんだろう?と不審に感じることがある。

被害者と加害者、強者と弱者。それぞれの立場や正義感という姿勢を武器に、言いたい放題。
それらしい言葉を丁寧に使って品良くまとめようとしても、心に相手を言葉で言い負かしダメージを与えようという思惑があれば、戦いにしかならない気がする。
それぞれの考えを、より上手に主張しあうだけの討論会であれば、言葉の使い方、表現で勝負をしていればいいが、本当に解決すべき事柄は、色々な角度から問題を冷静に話し合うことでしか答えは出ないというのは、誰にでも分かる事ではないのかなぁ?
誰かを奉り上げ責任を押し付けて責め立てることに、どんな意味があるのか?
菅総理や、東電の会長に辞めてもらったあと、希望の持てる展開になることが重要であって、今現在誰が責任者かということと問題解決とは別のことに思う。
仕事というのは日常的に考えると、一人の力よりも、関わる人の調和が取れる事でうまく進むように思う。もちろんリーダーの才覚というのは大きく影響するが、分野、細部に渡ってそれぞれが責任を持っている。リーダーを決めたのは誰なのか?リーダー不適格者を選んでしまった者には責任はないのか?間違えたリーダーは叩かれて辞めれば責任を取ったことになるのか?

ここで菅総理退陣の話題と東電の株主総会のニュースを一緒くたにするのは乱暴とは思う。
そして菅総理を支持するつもりもないし、東電役員の話している様子を私もなんだか他人事みたいに思った。
今の具体的な問題より、ニュースを見ていて私が感じるのは、うまく行っている時には、100%OKじゃなくても良しという寛大さを持ちながら、うまくいかなくなった時の人間のと言うより、マスコミの取り上げ方の豹変振りが恐ろしい。
それが人間の心理に大きく影響し、不安を煽り、判断を混乱させる元になるんだと思う。
社会問題で考えると、寛大な素振りの人と、豹変する人は、たぶん同じ人間ではないとは思う。日頃から問題を感じて運動を起こしている人に追い風が吹いた状況なのだろうから、世の中がそういう流れになったという話。今まで気にしてなかった人が、問題が起きたことで関心を持って加わる事はいいかもしれない。
だけど、何か違う怒りや不安が形を変えて爆発しているような気がする。良くしていきたいという意味では仲間でも、なんだかこれを機に不安を利用して私欲を満たそうとしてる人、解決策を考えようとせずに、今の状況の不満を撒き散らしたいだけの人。

人には色々事情があって、運動を起こすまでに至る様々な思いがあるだろうし、いま一つ参加できない私は何も言える立場ではないかもしれないけど、客観的な立場で見ているからこそ、圧力みたいなもので物事を進めようとしているものを感じ取って、そこに巻き込まれたくないから、様子を見てるというか…。ズルイような後ろめたさはあるものの、世の中の人大半がそうじゃないだろうか?違うかなぁ。

原子力発電の問題点が改善される研究が、あとちょっとのところまで来ていたら…
充分な設備投資ができるくらい、風力・水力発電へ投資できたら…
私欲を抜きにして本気で日本の事を考える、力と知恵のある人が政治家だったら…


注:内容とは全く関係ない写真です
上海でラテをオーダーすると、カップではなく厚いグラスで出てくる確率が高い。
しかも包帯のように紙ナプキンを巻いて。だけど熱くて持てないよー
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