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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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ずいぶんブログをUPしてなかった。
いろいろ書き残しておきたいことはあるし、お手伝いさん付きの子育てなので、習い事にも行けるし、1人でランチに行くこともできるので、ブログを書く余裕もありそうなものなのに、一つのことに集中するというのが難しい。お手伝いさんが子守りをしてくれていても、頭の中の最優先順位は娘なので、何かしていても気持ちは娘の方に向かっていて、いつでも娘以外のことは全部片手間な感じ。
母親ってそういうものなんだろうけど、もともといくつかのことを同時にできないタイプな気がする。もちろん食事しながらお喋りとかは出来るけど、そこにテレビがついていると気が散って落ち着かない。よくいつでもテレビがついている家とかあるけど、ムリ。まだあまり経験はないが、子供を遊ばせながらママ同士お喋りするのも厳しい。音楽を聞きながら編物とかはリラックスできるんだけどねぇ。
そういう感じで、娘に危険がないか、具合は良さそうか、いつでもチラチラ見ながらなので、ブログが書き上がらない。
私のブログなんて誰が読むってわけでもないので、気楽に書けば良いようだけど、誰かが読んでるかもしれないと思うと、変な文章になっていたら嫌だし、できれば面白いことを書きたいと思うと、時間がかかってしまう。普通に日記を書けば良いかというと、本当に誰も読まないと思うと、張り合いがなくてつまらない。
ブログって不思議だ。
私が読む他の人のブログって、気になるお店や商品、お料理のレシピや健康法、手芸についてとかを検索して引っかかったのを読む。そうするとすごく丁寧に色々教えてくれるのが山ほどある。仕事でもないのに不思議な気もするけれど、趣味だと思うとハマっていくんだろうな。それとも何かを目指しているのだろうか?
そういう点で見ると、私のブログって他人にはなんの役にも立たない内容だなぁ。
だけど私にとっては、こういう他愛もないことこそ、今日の頭の中の記録なのであとで読み返すと面白い。
だからブログは続けたい。

ちなみに今はお手伝いさんが娘を連れて、外に遊びに行ってくれている。
珈琲を淹れて1人静かなリラックスタイムだ。
今日は最後まで書くことができた!


国慶節で日本に帰った時に入手した、手芸の新アイテム。
タティングレース。難しー!本見ても全然わからん。
まわりでやってる知り合いもいないし。ここでギブアップになりそう。
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学生の頃よく友達とミスタードーナツに行った。
私は大概オールドファッションを食べ、友人Kはミートパイ。友人T美は名前は忘れたが、フワフワしたドーナツに粉砂糖がかかり、上にブルーベリージャムがたっぷり乗っていて、更にジャムのまわりにホイップクリームが一周してるという、とんでもなく甘ったるそうなものを食べていた。
時々別のものに浮気したとしても、やっぱりコレに戻ってくる。
Kのお気に入りのミートパイは食べ方にも特徴があり、ここに記すのは少々抵抗のある方法なので省略するが、食べるのに時間がかかる。お金のない私達はドーナツ1個と飲み物で何時間も居座っていたので、食べ方も含め私もマネして食べてみると、なるほどその食べ方が楽しく、且つ美味しいと思った。
しかしブルーベリーの方は全然試す気になれない。
他人の好きなものにケチをつけたくはないが、よくそんなに甘そうなの毎回食べれるねぇと私とKからの白い目も気にせず、T美は本当に嬉しそうに美味しそうに食べていた。

ある日父がミスタードーナツを買って帰ってきた。
父は岩みたいな風貌でありながら甘い物が大好きで、いろんなものを買ってきた。
だが父は店員とのコミュニケーションが苦手で、ショーケースの中のお菓子を指差し、「んっ(これ)、んっ(手で4つ!)」という買い方をするので、色々な種類ではなく、同じものを人数分。それがあのブルーベリーのドーナツだったのだ!
うわーT美以外にもこれを食べたいと思う人がここにいたー!と思った。もちろんT美と父以外にもファンはいるんだろうけど…。
そして仕方なく口にしてみると、なんとなんとイケるではないか!
想像よりジャムはあっさりしていて、ドーナツの粉砂糖もそんなに気にならないし、ホイップクリームが全体をまとめてすごく美味しい。
T美!美味しいね!と思ったが、その美味しさが分かったのは、卒業してT美とは既に音信不通の間柄になってから。

時々職場とかで人から「なんでもいいからお弁当買ってきて~」と頼まれたりすると、なんでもいいって言われても~と責任を感じる。だけど、お弁当に限らず、外食の時などいつも自分で自分のを選ぶとワンパターンになりがちなので、誰かに選んで貰って新しい発見をしたいと今は思う。

夫はカフェとかでケーキを食べる時、ケーキとココアという組み合わせをしたりする。やっぱりそれはマネ出来ない。

パウロ・コエーリヨとの出会いも友人から
最初は全然意味が分からなかったが、今は好きな作家の1人。
「人見知りをする人を信用する」と、俳優の中井貴一さんが言っていた。
中井貴一さんてなんか好きで、その心理に興味が湧いた。
まだ十代と思われる女優さんに対してのメッセージで、想像するに彼女は人見知りをして現場で硬くなっていたのだと思う。恐らく打ち解ける間もなくその仕事は終わったのだろう。考えてみれば、まだ十代の子が大人の社会にいるだけでも、どう振る舞ったら良いのか戸惑うだろうに、役者として求められていることに応えてるってすごい。

私も昔は人見知りをしていた。
バイト先とかでカチンコチンだった記憶がある。
学生の時に友達と時々行っていたカフェがあり、そこの店員さん達がおしゃれでカッコ良く憧れていた。ある日その店がバイトを募集している事を知り、思い切って応募して働ける事になった。入ってみたら憧れてた通り、夢や個性的な趣味を持つ魅力的なメンバーだった。
みんなと仲良くなりたいと思いつつ、緊張してろくに話せない日が続いた。
みんな気さくで優しかったけれど、ある日ある人に「全然喋んないね。つまんないって言われない?」的なことを遠回しに言われてしまったのだ!ガーン!!ズキーン!!!だった。つまらない奴、つまらない奴。私はつまらない奴なんだ…。とかなりへこんだ。
子供の頃から大人慣れしてるとかでなければ、その年頃の子は誰だって大なり小なり人見知りするのは普通だろう。だけどその頃は、人見知りは経験値で克服するものではなく、面白い奴にならないと克服出来ないと思ってしまった苦い思い出。
中井貴一さんは50歳(Wikiped調べ)、キツ~い一言を言った彼女はあの頃の私には大人に見えたが20代ソコソコなのでそんな発言をしても仕方ないが、もしあのバイト先で中井貴一さんのように「人見知りなんて対したことじゃない。私は貴女の演技を評価してるし、役者としての将来にも期待している」的なことのカフェバージョンで励ましてもらえたら、すごーく気が楽になって嬉しかっただろうなぁ。と思った。
中井貴一さんは「人見知りをする人を信用する」主義と言うより、彼女のコンプレックスが女優業に影響しないよう、優しく暖かいエールを送ったんだろうと私は解釈する。
人見知りが災いして、損したり悲しかったり辛かったりした事は他にもたくさんあり、人見知りする自分が嫌だったけど、いつからか思い出せないが、全然しなくなっている。人と打ち解けるのに時間が必要なタイプと、きっかけが必要なタイプがいるのではないかなーと思う。
このところ知り合う人がたまたま大人だけど人見知りな人で、最初は愛想ないなー。なんでだろ?なんて思っていたが、数回会ううちに打ち解けて全然愛想もある面白い人だということが分かる。
なんだか最初から調子良い人より、後から評価上がって得じゃーんって気がした。



我が家はりんごをたくさん食べる
りんご12個、きゅうり2本、茄子2本合わせて49元(市場価格)
1月末に上海に戻りました。
ようやく家族3人の生活のはじまりです。
我ながら2011年は頑張った!
妊娠、出産直後は幸せいっぱいというより、不安と寂しさの方が勝ってしまって娘に申し訳ない思いでした。
これからは幸せいっぱい愛情いっぱいの、楽しい育児ライフに切り換えるぞー!

上海に戻る前に送った荷物、段ボール5つ。飛行機にのせた荷物はスーツケース2つに段ボール3つ。
しばらく日本に帰れないと思うと、日本製の赤ちゃん用品を持っていけるだけ持っていきたいとオムツや、母乳だけど一応粉ミルクも!と、他にも色々。さて、これらの荷物、どこにしまう???

2月からアイさん(お手伝いさんのこと)に平日の午前中だけ来てもらうよう、夫が手配してくれました。
お手伝いさんなんて、どうやって使ったらいいんだ~!!!と妙に緊張していましたが、アイさんが来始めて今日で4日目。中国語で指示するのは慣れないものの、アイさんの方が我が家の仕事にサッサと慣れて、テキパキと掃除や洗濯を終え、私から娘を奪い「休んで!休んで!」と私を労わってくれます!
まだ、なんか悪いよぉ、落ち着かないよぉと、変な気分。
他人が(しかも外人)自分の家をウロウロしてるなんて、なんか嫌だ。と思っていましたが、勝手に部屋がきれいになって、ゴミ箱が空になっている快適さ!素敵です。あっという間に慣れてしまいそうです。
人から中国人アイさんの掃除の仕方はヒドイとか、子守しながら携帯で友達とお喋りするとか、舌打ちするとか聞いていたので、そういうことをされたらどうやって注意しよう?と覚悟していたのに、うちに来てるアイさんは全然大丈夫。話し方も早口で怒られてるような感じではなく、優しく穏やか。ちょっと恥ずかしそうに話す笑顔が可愛い人です。

産後はブログどころではありませんでしたが、こうしてブログを書く余裕も出来ました。
日本の友人達よ!心配かけましたが、こちらで私はなかなか快適なスタートを切りましたよ。安心してね。
上海の友人達よ!戻ってきました。しばらくは娘と家にこもってるつもりです。部屋や生活のリズムが整ったら、外も暖かくなっている頃だと思うので、また遊んでくださいな。


初めての飛行機でバシネットの中にいる娘の図。
ちょっと笑える。
寝なかったけど、機嫌は良さそうでした♪
このところ、よく親子ってなんだろう?と考える。
理想の結婚生活を思い浮かべ、理想に近付ける努力をする人は多いかもしれないが、両親との関係って、物心ついた時にはある意味出来上がっていたような物だから、現実があるだけだ。
それなのに、親ってこういうものだ!というのが私の頭の中にある。
大概それは理想であって実際の親とは違う事に、つい最近気が付いた。
私の親だったら、こういう時こう言ってほしいとか、ああやってほしいとか…。なんで分かってくれないの?と勝手に悲しくなったり。
よくよく考えると、自分の身近にいる親こそが親そのものなのに、不思議な話かもしれない。
「こうして欲しい」という期待はどこから生まれてきたのだろう?
他人だと伝えなければ解らないって思えるから、誤解を招かないよう努力したり、喜んで欲しいと思ってした事が、それほど喜んでもらえなくても、相手を観察して方法を変えるなり工夫することは、気持ちの良い人間関係を築く知恵と思える。
他人に対しての期待度は、関係の深さでだんだん図々しくなりがちではあるが、親に対して程ではないと思う。

人生の中で、危機と位置付けされることって、どの程度の事だろう?
自分にとっては一大事でも、他人にとっては他人事なので、他人を巻き込んで大騒ぎするのは、私としては避けたい。
だけど家族には同じ温度で向き合って欲しいという気持ちがある。
私の実家は割とクールで、あまり大騒ぎしないし人生の危機というものが、今までにあったかなぁ?という感じ。
私的には今現在が危機なのだが、24時間助けが必要な訳ではないし、だいぶ危機的期間も長いので本当の危機とは違って、気分的危機。そこに他人にいつまでも付き合ってもらうのは気が引けるけど、家族くらいは分かって欲しいと思ってしまうが、入院を報告した時に「◯日まで忙しいから、お見舞い行けないけど、大丈夫?」という感じなので、自分でなんとかするほかなかった。正直、心配じゃないのかなぁ?寂しいなぁ。と思ったけど、事情があるなら仕方ないし、死ぬ程どうにもならない訳ではないから寂しさは収めるしかない。
だけど、長い入院生活の中でその類の期待が高まって理解は出来ても平気ではいられなかった。
今もそうだけど、最初の方に書いたように、私の理想と現実は違うのであって「期待」というのが厄介な感情なのだ。

親が子を思う気持ちは深いのかもしれないが、それをどう表現するかは個人によるし、受け取る側にもよるので、あまり美しくとらえ過ぎても妙かもしれない。
冷静に考えれば、うちの親が血相を変えて飛んできたら、この人達誰?って感じで不審な気がするだろうことに今気付いた。

あまりにもプライベートな内容なので、ブログにUPするのを迷ったけれど、この先親はどんどん年を取り、体力もなくなるだろうし、頭も硬くなるだろう。
考えてみれば、まだ親に何かを期待してしまうのは気の毒かもしれない。
他人なら素直に感謝することなのに、親ならやってくれて、分かってくれて当たり前と思ってしまう私が子供じみていると、深く心に刻みたいと思って残すことにした。
そして、これから親になる私がちゃんと親になるために。


友達にもらったオーガニックの豆乳
すごーく美味しい!
パッケージも可愛い♪
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