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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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梁石日の「闇の子供達」という小説を読んだ。
この話を知ったきっかけは映画の予告。
舞台はタイで幼児売買春、臓器売買の話。フィクションではあるけれど似たような事が現実にあると思うと、読後感は悪いだろうと読むのを躊躇していが、その一方知っておきたいという興味もあった。
何年か前に「もし世界が100人の村だったら」という本が流行り、数字で生活の違いを知り、自分がなんとなくイメージした割合とは全く違い、自分の境遇は思っていた以上に恵まれていると驚いた。
日本にも恐ろしいニュースや経済不況はある。けれど、日本人にとっては生活の質が落ちることにたいする不安が、一番避けたい事なのではないかと思う。生きていければそれだけで満足と思えないのは、不幸と言えば不幸だ。
自分の生活と小説の中の子供達の生活を比較すると、申し訳ないような後ろめたい気持ちになってくる。この後ろめたさは何に対して起こるのか。苦しんでいるのを知っているのに、助けてあげられないから?暑いとか寒いとか美味しくないという程度の不満を言っているから?
小説の中で子供達は、家族と引き離されたり、性のことも知る前から玩具にされたり、暴力を受けたり、食べ物をもらえなかったり、病気になって(エイズとは何かも知らないのに)ゴミとして捨てられたりする。想像は出来ても現実的には考えられない内容。
日々の食事や身の安全が第一の人達が、日本の豊かさ安全性について考えたり羨んだりすることはないだろう。どちら側からしても別世界なのかもしれない。
色々な国から仕事をしにくる人がいる。よく来たねー!頑張って!という気持ちになったことが私は今まではなかった。彼・彼女達はどちらかというと日本人がやりたがらない仕事を引き受けてくれている印象があり、本当はもっと簡単に良い暮らしが出来ると思って来たんじゃない?せっかく日本に来て辛い仕事をして、来た事を後悔してない?なんて思ってたけれど、自国での生活の限界を見極めて外に出た人達なんだとわかった。仕事の内容や暮らしの質とは違う話なんだと。
本当は国自体が安心して暮らせるように変わってくれるのが一番良いけれど、個人の力で人生を変えるには、希望を持てるかどうかが大きいと思った。
小説の子供達には希望がなく、いつまでも悲惨が続くようで絶望的だった。世界には楽しいことがある事さえ知らないだろう。他にも生きる場所があることを知れば希望に繋がると思った。希望があれば方法を考える知恵も生まれ、実行に移す勇気もわくだろう。
私は「知恵」と「勇気」という言葉が大好きで、いつも心に持っていたいと思っている。「希望」については深く考えたことがなかったけれど、すごく大事なことだと気付いた。
日本にいても希望をもてない人はいて、希望を持てない理由も様々とは思う。タイ(だけではないけれど)の希望が持てない理由より個人的で複雑、多種多様だ。そして希望を持つ方法や手段や情報も多種多様。その点でも恵まれている気がする。悪戯に同情心を起こすより、せっかくの恵まれた世界での生活を生かして楽しんだ方が、他の国からの希望になると感じた。

なんだか今の境遇に後ろめたさを感じないよう、こじつけたような事を書いてしまったが、可哀相可哀相という感想を何日も引きずり、暗く重い気分になっていた。真剣に相手の身になって考えると、同情されっぱなしって気持ちよくない。「同情するなら金をくれ!」って感じで、同情してもなんにもならない。結局出来ることは、今の自分の立場に感謝して一生懸命生きるだけ。各自頑張ろう!
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