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日々思い浮かんだことを、気の向くままにあれこれと…
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一人の時のお昼ごはんって何食べてますか?
私が最近ハマっているのが「ぶっかけうどん」自分の為に作るって、なんだかとっても面倒くさいけど、これは冷凍の讃岐うどんを沸騰したお湯で1分茹でで、生卵をのっけて味葱を散し、だし醤油をちょろっとかけて出来上がり~♪超楽なのにとっても美味しい!食欲が落ちる夏でもつるつるっと食べられます。
私はうどんより蕎麦派ですが、讃岐うどんのモチモチな感触は大好き。味は玉子かけご飯と同じだけど、私的には玉子かけご飯より、ちゃんと一人でも作って食事してる感じがして、なかなかいいんじゃなあい?なんて満足してるのだ。
しかもこの讃岐うどん、食材の宅配らでぃっしゅぼーやの無添加品!3つ入りで300円しないのよ♪
 
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今年も紫陽花の季節に鎌倉へ行った。
今回は友人と一緒。
紫陽花はたくさんあると本当にダイナミックだ。桜と紫陽花の他に、ここまで季節が視界いっぱいに飛び込んでくる花はあるだろうか?
私は植物を育てるのは苦手だけど、見るのは大好き。買う予定がなくても花屋を通りかかると、じっくりと眺める。でもこれって、ここ2、3年のことだと思う。年齢のせいかもしれない。
子供の頃、祖父に連れられて青梅に梅を見に行ったことがある。(あ、梅も視界いっぱいに見られる花だ!ん?そういえばラベンダーとかも。コスモス畑や菜の花畑とか…忘れているだけで、案外ありますね。)その頃は「おじいちゃん、もう行こうよー。同じような写真何枚も撮ってないでさぁ~」と、花や自然を観賞したい気持ちに全然ならなかった。
祖父に限らず、道を歩いているとお爺さんやお婆さんが立ち止まって、見過ごしそうな草花をニコニコしながら眺めている姿を思い出す。その心境に私も一歩仲間入りしているのかもしれない…

友人が鎌倉駅近くにあるカフェのパフェが、絶対に食べたい!とやたらに言うので、珈琲の美味しい店だけど私も真似して注文してみたら、コーヒーゼリーにコーヒーアイス、コーヒーの滑らかな氷?みたいなのの甘さと苦味が調度良いハーモニーで、とっても美味。友人に奨められなければ出会えなかった味に感謝感激雨霰でした♪

 

先日、千葉の柏にあるパン屋さん「Zopf(ツオップと読みます)」に行ってきました。
本屋さんで雑誌に「パン特集」の文字を見つけると、とりあえず買ってしまいます。だからといって知らない店があると必ず行かなきゃ気が済まない程ではなく、自分の行動範囲内、または行動範囲外に出かけたときに覚えていたら寄りたい感じ。以前はパンオタクでしたが、最近は本格的に美味しいパン屋さんがすごーく多いので、追いつかないのです。デパ地下で買えれば楽なのですが、個人店がすごく頑張っていて、「わ!美味しそう!行きたい!」とワクワクしながら住所を見ると、行きにくい場所ということが多いです。食べたいけど面倒くさい…。と、近頃の私はパンへ情熱がそそげなくなってきているのですが、久しぶりにそれでも行きたいと思い、Zopfに行ったのでした。
こちらのお店、千葉の柏。駅で言うとJRの北小金という場所にあり、北小金駅からバスで15分。そんな不便な立地なのに、パン特集をすると大概登場するのです。ネット検索しても美味しい!美味しい!とたくさんヒットします。
朝7時開店で、カフェも併設されており、モーニングメニューが魅力的♪朝カフェも予約しておいた方がいい!と食べログに書いてあったので「9:30から2名で予約お願いしまーす」と電話をしたら、もういっぱいでもっと早い時間でないと空いてないとのこと…
友人と表参道に7時に待ち合わせして、千代田線で57分電車にゆられて行ってきましたよー。
ま、パン好き友達と一緒なのであっという間ですが、なんとなく早起き&長距離というのが、興奮します。
「北小金」という場所、どんなにさびれた場所かと思っていたら、すごく人が多くてビルもいっぱい!ビックリしました。
そしてパン屋さん!種類が多くてどれも美味しそう!下調べして買うもの決めていたのに、予定外のパンをいっぱい買いました。パン屋さんもカフェも雰囲気がとっても良くて、混んでなければいくらでものんびりしていたい感じ。もっと近かったらしょっちゅう行きたいです。カフェメニューが充実していてリーズナブル。味も良かったです。

「やわらかい手」という映画を見た。
ストーリーは難病の孫の治療費を稼ぐ為に一肌脱ぐ女性の話で、その稼ぐ方法が、風俗店で顔は出さずにサービスするという方法。彼女のやわらかい手が人気を呼んで、売れっ子になったはいいけれど家族に秘密の仕事だった。
映画館で見た予告もコメディタッチだったし、ジャンルもコメディになっていた。けれど…見てみるとこれコメディ?って感じだ。くすっと笑っちゃう場面もところどころあったけど、なんだか重くて悲しい気分になった。
この映画を見て思い出したのが、恐らく私が20代前半に見た「欲望という名の電車」。これを見た当初すごく面白く(興味深く)感じたのを記憶している。細かいストーリーを忘れかけた数年後、会社の上司(当時40代男性)と何かの拍子にこの映画の話をした。その上司からは小説等も色々紹介してもらっていて、好みは似ていると思っていた。けれどその上司は「悲惨な悲劇だ」と言い、私は「シュールな喜劇だ」と言った。お互い信じられない!他の映画と勘違いしているんじゃないか言うくらい。その時の上司が私を見る目は本当に信じられない者を見る目で、きっと私もそうだったと思う。
悲劇と思うか喜劇と思うかは主観的なものとはいえ、珍しいように思う。「やわらかい手」を見てその時の変な気持ちを思い出した。そこで「欲望という名の電車」をもう一度見てみた。
もう一度新鮮な気持ちで、強く引き込まれる映画だった。
そして今回はなんと悲劇だと感じる私なのであった!
記憶違いではなく同じ映画なのに!なんだか自分が信じられない気分。
今思い出したが、初めて見た当時、1950年代の白黒映画なんてつまらないだろうと偏見を持っていたが、こんなに面白いなんて他にも見たくなり、似たような作品を探し「何がジェーンに起こったか?」という映画を見て、今となってはすっかり内容は忘れてしまったけれど、やっぱり「シュールな喜劇」と満足した覚えがある。
俄然見たくなってきた。
けれど、あの上司と話してすぐ見ていたら私はどう感じていただろう。

 
梁石日の「闇の子供達」という小説を読んだ。
この話を知ったきっかけは映画の予告。
舞台はタイで幼児売買春、臓器売買の話。フィクションではあるけれど似たような事が現実にあると思うと、読後感は悪いだろうと読むのを躊躇していが、その一方知っておきたいという興味もあった。
何年か前に「もし世界が100人の村だったら」という本が流行り、数字で生活の違いを知り、自分がなんとなくイメージした割合とは全く違い、自分の境遇は思っていた以上に恵まれていると驚いた。
日本にも恐ろしいニュースや経済不況はある。けれど、日本人にとっては生活の質が落ちることにたいする不安が、一番避けたい事なのではないかと思う。生きていければそれだけで満足と思えないのは、不幸と言えば不幸だ。
自分の生活と小説の中の子供達の生活を比較すると、申し訳ないような後ろめたい気持ちになってくる。この後ろめたさは何に対して起こるのか。苦しんでいるのを知っているのに、助けてあげられないから?暑いとか寒いとか美味しくないという程度の不満を言っているから?
小説の中で子供達は、家族と引き離されたり、性のことも知る前から玩具にされたり、暴力を受けたり、食べ物をもらえなかったり、病気になって(エイズとは何かも知らないのに)ゴミとして捨てられたりする。想像は出来ても現実的には考えられない内容。
日々の食事や身の安全が第一の人達が、日本の豊かさ安全性について考えたり羨んだりすることはないだろう。どちら側からしても別世界なのかもしれない。
色々な国から仕事をしにくる人がいる。よく来たねー!頑張って!という気持ちになったことが私は今まではなかった。彼・彼女達はどちらかというと日本人がやりたがらない仕事を引き受けてくれている印象があり、本当はもっと簡単に良い暮らしが出来ると思って来たんじゃない?せっかく日本に来て辛い仕事をして、来た事を後悔してない?なんて思ってたけれど、自国での生活の限界を見極めて外に出た人達なんだとわかった。仕事の内容や暮らしの質とは違う話なんだと。
本当は国自体が安心して暮らせるように変わってくれるのが一番良いけれど、個人の力で人生を変えるには、希望を持てるかどうかが大きいと思った。
小説の子供達には希望がなく、いつまでも悲惨が続くようで絶望的だった。世界には楽しいことがある事さえ知らないだろう。他にも生きる場所があることを知れば希望に繋がると思った。希望があれば方法を考える知恵も生まれ、実行に移す勇気もわくだろう。
私は「知恵」と「勇気」という言葉が大好きで、いつも心に持っていたいと思っている。「希望」については深く考えたことがなかったけれど、すごく大事なことだと気付いた。
日本にいても希望をもてない人はいて、希望を持てない理由も様々とは思う。タイ(だけではないけれど)の希望が持てない理由より個人的で複雑、多種多様だ。そして希望を持つ方法や手段や情報も多種多様。その点でも恵まれている気がする。悪戯に同情心を起こすより、せっかくの恵まれた世界での生活を生かして楽しんだ方が、他の国からの希望になると感じた。

なんだか今の境遇に後ろめたさを感じないよう、こじつけたような事を書いてしまったが、可哀相可哀相という感想を何日も引きずり、暗く重い気分になっていた。真剣に相手の身になって考えると、同情されっぱなしって気持ちよくない。「同情するなら金をくれ!」って感じで、同情してもなんにもならない。結局出来ることは、今の自分の立場に感謝して一生懸命生きるだけ。各自頑張ろう!
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