[1]
[2]
category:旅行
4ヶ月ぶりに伊豆の家に来た。
草木がぐんぐんと伸びる季節なので、山道は枝葉達が幅をきかせて視界が狭く、車のスピードを出すのが恐いくらい。
山上の家から景色を眺めていると、冬来た時は家が増えたなぁと感じた記憶があるのに、今回は緑が生茂り家が隠れているし、鳥と虫の声と風の音が四方八方から聞こえてきて、人間が生活している気配が小さく、自然界の一部分を借りているという心境になってくる。
普段は地球は人間の天下だと思っちゃってる気がする。
ここにいると、見慣れない緑の多さに、エコなんて気にしなくても平気なんじゃないか?なんて思ってしまい、東京にいると情報からエコ活動は必要だと感じる。いい加減な自分の気持ちに呆れるが、鳥と虫と風の音の圧倒的な存在は、単純に私に畏敬の念を抱かせる。
こんな考えとは別に、ぼーっと景色を眺めていると子供の頃に持ったような、素朴な疑問が浮かんでくる。
鳥や虫の声は喧しく感じないのに、子供の泣き声は何故喧しく感じるんだろう?泣き声には怒りや悲しみが入っているから?だけど鳥や虫にはそれはないって言えるだろうか…とか
風の音は何かに触れてる音のようで、何もない場所では音はするのか?とか
蚊はどうして皮膚の中に自分の好物があるって知ってるのか?とか
ミノムシは巣を作ってからぶら下がるのか、巣の材料を何度も運びながら完成させるのか?とか…
きっとこれらは子供の頃と違って今は、インターネットで検索すれば解明するかもしれないけれど、今はこういう疑問が解決できることより、身近な人と自分なりの解答をしあうのが楽しいという気がする。
伊豆に来ると夜ぐっすり眠れて、目が覚めると日は高く昇っていることが多い。
今日は夜明けを見てみたいと思い早起きしたが、間に合わなかった。
草木がぐんぐんと伸びる季節なので、山道は枝葉達が幅をきかせて視界が狭く、車のスピードを出すのが恐いくらい。
山上の家から景色を眺めていると、冬来た時は家が増えたなぁと感じた記憶があるのに、今回は緑が生茂り家が隠れているし、鳥と虫の声と風の音が四方八方から聞こえてきて、人間が生活している気配が小さく、自然界の一部分を借りているという心境になってくる。
普段は地球は人間の天下だと思っちゃってる気がする。
ここにいると、見慣れない緑の多さに、エコなんて気にしなくても平気なんじゃないか?なんて思ってしまい、東京にいると情報からエコ活動は必要だと感じる。いい加減な自分の気持ちに呆れるが、鳥と虫と風の音の圧倒的な存在は、単純に私に畏敬の念を抱かせる。
こんな考えとは別に、ぼーっと景色を眺めていると子供の頃に持ったような、素朴な疑問が浮かんでくる。
鳥や虫の声は喧しく感じないのに、子供の泣き声は何故喧しく感じるんだろう?泣き声には怒りや悲しみが入っているから?だけど鳥や虫にはそれはないって言えるだろうか…とか
風の音は何かに触れてる音のようで、何もない場所では音はするのか?とか
蚊はどうして皮膚の中に自分の好物があるって知ってるのか?とか
ミノムシは巣を作ってからぶら下がるのか、巣の材料を何度も運びながら完成させるのか?とか…
きっとこれらは子供の頃と違って今は、インターネットで検索すれば解明するかもしれないけれど、今はこういう疑問が解決できることより、身近な人と自分なりの解答をしあうのが楽しいという気がする。
伊豆に来ると夜ぐっすり眠れて、目が覚めると日は高く昇っていることが多い。
今日は夜明けを見てみたいと思い早起きしたが、間に合わなかった。
PR
category:旅行
category:旅行
渋滞に巻き込まれなければ家から車で3時間の場所、伊豆高原に義父母のセカンドハウスがある。
その家は山の上にあり、ベランダからは海と緑と大島が見える絶好のロケーション。義父母も義理の妹夫婦も忙しいので、私達ばかりがこの家を訪れる。
義父母から借りているという立場をわきまえずに言えば、たまにしか来ない別荘特有の匂いや古さ、家の周りの荒れ放題の草木達…と難点はあるものの、
ここで過ごす数日間は素晴らしい。
私の実家は緑の多い場所にある。庭にも母が手入れしている様々な花や木がある。それは私にとって当たり前のことだった。
私からすると緑の少ない自由が丘に住むようになって、それはとても大切なものだったと感じるようになった。
季節の訪れは不意に感じるが、やはりきっかけがある。金木犀の香りだったり、芝生を刈った香りだったり、落ち葉を燃やした鼻が痛くなるような香りだったり…
実家は駅まで自転車で10分ほどかかったので不便だと感じていたが、その道の途中には畑と林があり、静かな住宅街を通った。
仕事で疲れた後に自転車にまたがり、いつもの道を通る家に着くまでの間に、色々な植物達のエネルギーが私の心に風を通してくれていた気がする。
当時はそんなことは実感していなかったけれど。
私は以前は何もせずに過ごすというのが苦手だった。伊豆に来ても観光に出掛けたりしないと、時間を持て余していた。
けれど主人は何もせずに過ごす楽しさを知っている人だったので、暇だな~と思っていたのは覚えているけれど、いつの間にか私もそれが上手になっていたようで、惜しいほどの速さで夕方がやってくる。
今回は4泊5日。朝起きて、朝食にベーカリーカフェに行って、食料を買いに行って、温泉に入って、読書して、数独をして、昼寝して、温泉に入って、ビールを飲んで、夕飯を食べて寝る。
至福の時間。
写真は別荘からの眺めと、ベランダの柵に足をかけて読書をする定番のスタイル。読書をしながら自然のエネルギーチャージのひととき。
その家は山の上にあり、ベランダからは海と緑と大島が見える絶好のロケーション。義父母も義理の妹夫婦も忙しいので、私達ばかりがこの家を訪れる。
義父母から借りているという立場をわきまえずに言えば、たまにしか来ない別荘特有の匂いや古さ、家の周りの荒れ放題の草木達…と難点はあるものの、
ここで過ごす数日間は素晴らしい。
私の実家は緑の多い場所にある。庭にも母が手入れしている様々な花や木がある。それは私にとって当たり前のことだった。
私からすると緑の少ない自由が丘に住むようになって、それはとても大切なものだったと感じるようになった。
季節の訪れは不意に感じるが、やはりきっかけがある。金木犀の香りだったり、芝生を刈った香りだったり、落ち葉を燃やした鼻が痛くなるような香りだったり…
実家は駅まで自転車で10分ほどかかったので不便だと感じていたが、その道の途中には畑と林があり、静かな住宅街を通った。
仕事で疲れた後に自転車にまたがり、いつもの道を通る家に着くまでの間に、色々な植物達のエネルギーが私の心に風を通してくれていた気がする。
当時はそんなことは実感していなかったけれど。
私は以前は何もせずに過ごすというのが苦手だった。伊豆に来ても観光に出掛けたりしないと、時間を持て余していた。
けれど主人は何もせずに過ごす楽しさを知っている人だったので、暇だな~と思っていたのは覚えているけれど、いつの間にか私もそれが上手になっていたようで、惜しいほどの速さで夕方がやってくる。
今回は4泊5日。朝起きて、朝食にベーカリーカフェに行って、食料を買いに行って、温泉に入って、読書して、数独をして、昼寝して、温泉に入って、ビールを飲んで、夕飯を食べて寝る。
至福の時間。
写真は別荘からの眺めと、ベランダの柵に足をかけて読書をする定番のスタイル。読書をしながら自然のエネルギーチャージのひととき。
フリーエリア
カレンダー
03 | 2024/04 | 05 |
S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 |
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 |
28 | 29 | 30 |
カテゴリー
カウンター
Copyright © 珈琲を飲みながら in上海 All Rights Reserved.